ハリーポッター

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 やっとのことでハリーポッターを錦糸町まで観にいく。
 11月26日日本封切りでもう2ヶ月以上たっているんだもんなあ、行くの遅すぎる。レイトショーもすでになくなって(これだと1200円なんだが)、普通料金。
 スクリーンは小さく、これならDVDレンタル待ってもよかったかもなあとふと思う。音響もいまいちだった。

 さて、なんかハリーポッターシリーズ、ここのところなんかマンネリ化しているような。
 やっぱりわし的には第一作が秀逸、ダイアゴン横丁、ホグワーツ特急、グリンゴッツ銀行 といった、「レトロ好きにはたまらない」情景がふんだんにありましたからね。そんな描写が少ないのが気にかかる。毎回、ダイアゴン横丁を出すわけには筋的には行かないのかなあ。
 まあ、わしのスクリーンを見る視点が一般の人とはちょっと違うからだとは思いますけど。

 英語のしゃべれないわしですけど、ウィッチとウィザード(魔法使いと魔女)という単語は、ハリーポッターに限らず、この手の映画だとあちこちで出てくるのは理解できる。この辺は学校英語と違うところ。そしてすごく、文化の違いを感じる瞬間。日本で魔法使いって言うと、サリーちゃんやアッコちゃんだし(笑)。メシア=救世主とかそういう観点も、地球危機云々というSF系映画には頻繁に出てくる。でも、筋は理解できても、なんで妙な救世主的な概念が練りこまれるのかわからず、なんか作品が100%理解できないのがもどかしい。まあ最初から割り切ってみればいいんですけどね。
 ハリーポッター上の登場人物のダンブルドアももともとはバンブルビー(マルハナバチ)の変形らしいけど、日本語でハチという単語はよくでてくるけどマルハナバチなんてほとんど出てこないし、他の映画で出てくる単語=ミニストレール(吟遊詩人)なんて絶対でてこない。英語で頻出する言葉=日本語で頻出する言葉 なのは言語学的に当然なんだだけれども、イコールで結ばれない言葉が多々ある。その多くが宗教、思想がらみかな。異文化コミュニケーションはNOVAに通って身につくものじゃないし、難しいものだ。わしは、海外で生活することはありえない(仕事上からもない)異文化の違いは一生体験できないで(本のような形式上のものでは学べても)、まあちょっと寂しい気はします。

 西洋人は、自分たちが当たり前に普遍(だと思っている)世界観が、実はキリスト教や西洋的文化の上に立った独特のものだというのがやっぱり実感でわからないんだろうかなあ。これでもともとの思考回路の違う宗教圏イスラム圏=イラクにちょっかい出したらやっぱり嫌われるわ。

 ハリーポッターから飛躍しましたが、日本映画のよい点は、そういう文化的背景がわかる点。というか日本人が日本人の作った映画を見ていると違和感がないけれど、外国人がみたら「なんでそうなんだー」と理解できない部分がたくさんあるんでしょうね。それは逆にこちらはわからない。

 まあそれはともかくも、映画はまた意識して観にいかないと。本当に何もしないと年2本ペースになっちゃいます(汗)。

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このページは、が2006年2月 4日 10:12に書いたブログ記事です。

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