夏祭り

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 朝から神輿を担ぐ声が聞こえる。
 夏祭りやってるんですね。ここで迎える初めての夏。東京の下町は神輿の文化が残っているのか。それにしてもあんな重いものを担いで歩くと暑いだろうな。

 東京の神輿を担ぐ祭りが、今も続いているのはそれが楽しいからなんでしょうか。 もちろん支える人口も田舎の比ではないでしょうし。
 わしの田舎の祭りは、もう絶滅寸前なんですけどね(笑)。

 逆説的なんですけど、「準備の少ない楽しい祭り」は「祭りじゃない」気がどうしてもしてしまうんです。ここの祭りがどういう風な準備をされているのか知りませんが。一般客にとってはもちろん祭りは常に楽しいものですよ。屋台が出たりいろいろあって。
 でも、参加者のほうは、昔の人は祭りという神事の前に「水面下の氷山」のようなあらゆるタブーやしきたりを守ってやっぱり宗教的な部分があるからそれを大切にする。その集大成が、「お祭り」だったはずなんだけどなあ。そこの部分が深ければ深いほど荘厳な祭りという気がしますし、浅ければ浅いほど単なる遊びのお祭りという受け止め方なんです。

 敬虔なクリスチャンが、クリスマスでバカ騒ぎをする日本人をみて、キリスト教を冒涜しているという風に怒るのもわからないではない(寛容なクリスチャンも多いですけど)。人によってはケーキを食べる12月24日がクリスマスだと思っている人もいるわけで(24日はイブだっちゅーねん)。

 うちの田舎の神社のアマチュア神主制度(簡単に言うとそういう風になるんですが)に当たった人(昔はくじだったけど、今はくじは形式上(立候補者が少ないので)やってるにすぎない)で、信心深い人は、本当に毎日夜の12時に正装してお宮参りをしていた。そのお参りする下駄の音がいつも寝床にいるわしにも聞こえて何か厳粛なものを感じたもんです。しかし本当に365日お参りするってのは今思い出しても凄いと思う。

 日本の祭りでも、規模の大きいものは「半年も1年も前からこと細かくプロコトル(様式=しきたり)によって定められたわずらわしい伝統を守り準備することが普通でしょう。そのわずらわしさを守るのが祭りの本質そのもの。今の祭りはその辺が崩れてきてすこしずつ祭りの意義がずれている気がします。

 今の時代の人たちにはわしを含めてそういう煩わしさに耐えられなくなってきてるのだからしょうがないのでしょうけども。時代とともに祭りも変わっていってますからね。

 博多山笠や京都の各種のお祭りのような、超有名かつ観客も多い祭りは今後も安泰でしょうが、人口数千人、数百人の村や町の何百年も続いた祭りが、こういう時代の意識変化と人口減で黄信号から赤信号になりつつあるようです。若者にとっては祭り以上に楽しいことがたくさんありますし、宗教的な意義も見出せないんでしょう。しょうがないけれども、これも現実なんですね。

☆☆☆

 体質改善に向けて食生活を変えようとしているわしですが、夏のアイスだけはやめられない。意志が弱いせいなのかもしれませんが、冷凍庫には名糖アイスバー10本入りが鎮座してます。
 で、これ全く気にしてなかったんですけど、当たりがあるんですね。
 うーん、さっき1本食べてたら、なんか棒に焼印がしてあったので、見てみたら二塁打(笑)懐かしいー。これであと二塁打がでたら1本おまけ?
 でも10本パックの製品だしどうやって交換するんだろう。

 と悩んで箱を見てみたら、ポイントを貯めると、ホットサンドメーカーがもらえるとかそういう懸賞だった。
 ホットサンドメーカー貰っても、100%使わないし、キッチンの荷物が増えるだけなんで、嬉しくないなあとおもって更に箱の説明を読んでみたら、4ポイント貯まったら、抽選に応募できるだけかい(笑)、漏れなくもらえるじゃないのか。じゃダメダメじゃんか。あ、ホームランが出たときのクッションは漏れなくなのね。
 
 やっぱ、当たりがでたらもう1本の正統派(?)ホームランバーがいいなー。

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このページは、が2006年8月 6日 15:53に書いたブログ記事です。

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