戻ってきました
どたばたして1日日記が飛んでしまいました。
まあ、お正月3ヶ日はどこか日記が飛ぶだろうなと思っていたのでしょうがない。
で、先ほど戻ってきました。
羽田を21時10分頃着、21時半頃空港発の電車に乗って押上、押上から都営バスに乗るといういつものパターン。
昨日から我が家は、大掃除体制。
新年なのに大掃除とは、、これは理由あり。
昨年11月末頃から、親を介護施設に預けた関係で、今の住居(マンション)に住人が居なくなっているのです。
で、「物捨て名人の姉(普段親を世話している姉とは違う姉)が帰省していて、不要なものをバシバシ捨てる、電話、テレビ契約其の他を止める等の作業をすることととあいなったわけです。
3年半前に、40年以上住み慣れた家を売って、マンションに完全転居してからわずかの間でしたが、やっぱり寂しいですね、家を売った時ほどの寂しさはないですけれど、マンション自体は平成10年に購入していたのでまあまあなじみはありますし(平成10-15年までは、冬の寒い時期や病院に行くとき等限定で住んでいた)ここのところ帰省する回数も増えていましたから。
高齢の親を2人きりで置いておいたちょっと前までの状況は相当な不安があったわけで、電話がなければないなりに、いつも無事かなと少し不安に思っていたりしたのです。
それが介護施設を利用するようになると、2人で暮らしていたときによくやっていた薬の飲み忘れもなくなり、何かあったらすぐ連絡が来るわけですから、子供としてはかなり安心。かなり、ボケも進んでいるので、やむをえないというか妥当な選択をしたと思います。
とはいえ、ガランとしてこれから人気のなくなるマンションの部屋を見るとね。それはちょっとしんみりになっちゃう。
わしの人生予定表によるとあと15-20年くらいこちら(東京)にいて、その後に帰省、10年ほどマンションに暮らして、最後にはどこかの介護施設にお世話になる。この青写真によると、しばしの間このマンションも主なしの冬眠に入るということですね。人が住まないと傷むといいますけれどしょうがない。完全な冬眠というわけではなくて、盆暮れに帰省したときの宿としては使いますが。
マンションは冬眠に入ることになりましたが、今回の11月からの施設を探して入れるというドタバタや大掃除一連の流れに寂しさと安堵感両方あるけれど、どちらが強いかといえば安堵感でしょうか? 姉にはずいぶんお世話になりましたが、マンションもかなり気合を入れてここ数年大型テレビを買い(親が使いこなせずほとんど利用しなかった(BSとかCSのボタンがたくさんついててわからなかったらしい(苦笑)、マンション3部屋用の大型エアコンを買い(灯油暖房を使わせたくなかったというのが主な理由)、、、一見ムダなように思えるけれど、親の金は親のためにつかうのが筋ということで整備してきました。これには実は子供の気持ちの整理という部分も多分にあったのかな。
近い将来いつかは別れることになるけれど、「あれをやっておけばよかった」の部分を最近かなり塗りつぶしたのかなという感じもしなくはないです。介護施設にお世話になるというのもその一つ。
と書くと、何かもうすぐあるか、、ってなことになりそうですけれど、現在はその兆候はありません。
数え年で今年のお正月で親父は90歳になり、確かにそういう可能性はある。 しかし、親父は今まで大きな病気もせず、生まれてから現在までの累計入院日数がわずか「1日(ヘルニア手術によるもの)」、昨年自転車で転んでも骨折もせず、今年の元旦も往復で2キロ超の道を歩いて墓参してきました(後から足が痛いといっていたけど)。いや何というか、足腰系は元気ありすぎ。
脳のほうはかなり心もとないけれど、まだ父親も母親もちゃんと子供がわかるだけではなく、普通の会話が通じる(トンチンカンも相当多いけど)し帰省も喜ぶレベルで、まだまだ子供を見て「あなたどなたですか?」のレベルではない。
姉の予想ではもう5-10年は大丈夫だろう(笑)ということですけれども、さすがにこの年齢になると、大病をすることは考えられず(するくらいならお迎えきちゃいますね)、病院でも無理な手術や治療はしないでしょうから、痛みも苦しみも余りない最期を迎えられそうで、ちょっとうらやましくもあります。
大往生といわれる程の高齢で死亡した人の場合には、お葬式があまり湿っぽくないといわれますが、最近何となく実感でわかる気がします。日野原重明先生のように90歳過ぎてもかくしゃくとしていらっしゃったらまた話は別なのかもしれませんが。
しかしまあわしの親は子供が居たけど、わしはわし自身で周囲をきれいにして死ななければならんなあ。これがなかなか大変そうなんです。
世の中には、ボケたら入れるという施設が特養をはじめ沢山ありますが、ボケたことに誰が気づくかといえば身近に居る人、やっぱり子供になるわけで、子供が居ないと、ボケる前なら自分で世話ができるけれどボケたときに誰も気づかないということもありえる。行政のサポートなんて知れてますからね。それで「施設に入ることもなく、自分の住家で死んじゃうのかな」なんて思ったりするわけです。まあそれはそれでいいんですけど。

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