自分の存在意義
日曜日の成年後見の話。 相変わらずY先生の話は面白い。
「いくら財産があっても、孤独で亡くなると寂しいものですよ。大金持ちのお葬式の出席者が1人、同じ火葬場にきたごく普通の人は、たくさんの人が参列されている。」
孤独なお金持ちの方の成年後見をされた方ならではのお言葉です。
そういえば、藤原紀香がこの前、某番組で人気絶頂期の頃(今でもそう人気は落ちていないのでしょうが)に、「いくら周囲にチヤホヤされてても、もし私が今ここで亡くなっても誰も本当に悲しんでくれる人はいないのではないか」といつも思ってた云々って話をしていました。
なんかわかるなー、見かけは綺麗な女優さんでみんながチヤホヤしてくれてるけれど、所詮はそれは仮のものでしかない。だから陣内の本気な部分にハートを射抜かれたのだろうか。
わしの同級生のお父さんたちは、子供が高校生とか大学生でお金はかかるし、仕事は大変だし、でも少々仕事がきつくても、いろいろな理由で会社で干されていても「家族がいるから支えなきゃしょうがないベー」って諦観して働いている。もちろん出世街道を走っているのも多いけれど、そういう競争社会からすこし引いた位置にいる奴にとっては、やっぱり家族ってかけがえのないものなんだろうな。それは正直うらやましいと思う。自分の存在意義がわかってるのだからね。自己満足かもしれないけれど大切なこと。
藤原紀香とわしを比較するのは全くおこがましい限りではあるのですけれど、あれだけの女優さんもわしと全く似たような感想「今自分が死んだらどうなんだろう、自分の生きている存在意義は何なんだろう」とかいう疑念を持っているのにちょっとびっくり。
そうそう、そういえば風俗にお勤めの方の孤独というのを聞いたことがあります(間接的にです、直接は聞いたことがないし聞くこともない)。男性と最も肌を近づけて仕事をする人たち、つまり物理的には非常に接近している、しかも、プレゼントをくれたりチヤホヤしてくれるお客さんも多いし、いろいろな甘い会話もする。でもそれはすべてがいわば、架空の話の擬似恋愛で、孤独感というものは、そういったことがあることで逆に深くなり、しかも特別な職業だけにさらに深まる。
本当なのかどうなのか知らないけれど、個人的意見として何となくそんな気持ちになる人も多い気がする。
わしはお金はもちろん欲しいけれど、普通に普段食えて時々旅にでられるくらいあればいいって前にも書いたと思います。何かそれ以上にやっきになって金を稼ごうとすると人間どんどん卑しくなって行きそうだ。
お金がありすぎると、贅沢三昧していた現世に執着し、見苦しい死に方をするかもしれない。心配してお見舞いにきてくれた人たちは、財産目当てで病室を出たら舌をだしているかもしれない、考え出すと人間不信になっちゃうかな。
お金があれば、楽だし、いい生活もできる。本当にそれは事実だし、お金を貯めたいと思う気持ちも正直ある。けれど、仮にお金が貯まったとしてもその時点で、藤原紀香的に自分の存在意義をまた問い続けてしまうだろうな。彼女は金も地位も名誉もある状態で、同じような悩みを抱えていたのだから悩むことに関しては、お金の多寡は関係ないのだろう。
冒頭のお金持ちは、成年後見人をつけるくらいだから、認知症はかなり進んでいたはず。でもそれで結果論ですが幸せだったのでしょう。
お金があることも忘れる程でお金を有効に使えなくなったのですが、同時に最大の恐怖である孤独であることも忘れさせてもらって天に召されたのですから。 そう思うと認知症も、天がくれたプレゼント。
Y先生、別の話で、超特急で成年後見の審判をした事例を説明されました。
精神的障害を持っている人(被成年後見人=後見される人)が、長年何の手続きもされずに、ほったらかしになってた事例で、請求をすればすぐ障害年金がでるという人だった。そしたらそんなおいしい話があるのかと話を聞きつけた鬼親が、早速「年金の請求をした」らしい。本人のための年金だけれど、鬼親がそんな使い方するわけがない、最低限の養育費以外は自分の財布に入れちゃうでしょう。今まで放置に近い状態だったんだから。てことで親の丸儲けを防ぐために、超特急で成年後見の審判を下し、親が財産を管理しないようにする必要があったらしい。
お金があると人がよってくるというのは良く聞く話だけど、年間80万円とか100万円にしかならない年金を貰うために、障害を持った子供の親が子供に擦り寄るなんて、、何か悲しいな。人間としてのプライドがないんでしょうか。
