鴨ちゃんのお別れの会に行ってきました

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 午後は、アポありで、顧客先に出向く。
 仕事の話をしていると、かなり時間的にキツキツなんで、やばいかなという状態なんだけれど、受けた以上せざるを得ない。手続書類等を頂いて、また来々週訪問する事にして事務所を辞する。

 お客さんのところを出て、駅に向かうところで雷がなり大雨。うーんこりゃやばい、と思いつつも駅に急いで、そこから大手町へ移動。茅場町で乗り換えたので、茅場町駅でネクタイを普通のから黒いのに変えた。平服でということになっていたのですが、お客さんのところ訪問後ですからスーツでしたから。

 大手町C-10番出口から、パレスホテルに向かう。この時点でもかなりの雨でちょっとの距離だけどかなり濡れる。外は真っ暗。東京の最大瞬間風速が30メートルだったらしく、涙雨というより、大荒れ(お酒飲んだ後の鴨ちゃんや西原さんみたいなもの?)の暴れ雨だ。

 パレスホテル2階についたのは午後4時ちょっとすぎ、しかしながらすでに記帳をする一般の人多数で混雑中。しばし待たされてから記帳(筆ペンは本当につらいのよねえ)、その後また献花の最後尾に並んで、花を貰って献花。しばし合掌。

 なんだかなあ、いい写真だな、鴨ちゃん。

 すぐに、献花をしてからホテルを出て帰宅する予定だったのに、勝谷さんの思い出話@スライド付やらなにやら、興味ある話が沢山聞ける。とてもじゃないけれどすぐに辞するのはもったいない状況。お別れの会で話される人がみな強調するのは鴨ちゃんの優しさ。鴨ちゃんみんなに愛されていたんだな。

 おおおっと思ったのは、鴨ちゃんが「歌が上手かった」って話、いや鴨ちゃんはかなりのタイ語の使い手らしいけれど、プロフを見る限り、確かに滞在期間そこそこはあるのだけれど、何年いてもロクにしゃべれないヤツはいっぱいいる。そういう意味では「語学センス」があったのかな。美空ひばりも、英語の発音は完璧(意味はわからなくても)だったらしいし、そういう意味では、「音感が高い=語学習得が上手い」の関係を鴨ちゃんも実証したんですね。わしなんか何年やっても(やってないけど)英語はものにならなかった。
 
 会場は、フリードリンク+立食までついて(これでお金を取らないのか)大盤振る舞いだなあ、すごいぞ。甘いもの好きなわしはケーキをいくつか頂きました。

 途中で、会場から出口付近にある小冊子がおいてあるところに移動しそこで、千円ほど募金(ちょっと少ないか?)、小冊子と鴨ちゃん用の原稿用紙を頂く。

画像

 主催者が予想したより参列者が多くて(1000人ほどだとか)、いらした方全員に小冊子が行き渡らなかったみたいだけれど、そらあ西原さん200人なんて予想は甘すぎですわ。みんな西原漫画や鴨ちゃんの文章には、腹を抱えて笑ったり、切なくて泣いてみたり、いろいろな思い入れがあるんだから、もうちょっと来ますよ、うん。

 鴨ちゃん、42歳の短い人生だったけれど、人生って長さじゃないですよね。本当にそう思った。人生のよしあしを決めるのは、自分のやりたいことをやること および その密度なんですよね。鴨ちゃんは全力で走り抜けたんだと思う。

 わしも、死ぬとき、「思い残す事はない」状態で亡くなれる様に努力しなきゃ。ダラダラと長生きしてもしょうがない。てことで、立ち上げた会社大きくしなきゃね。最近は15時間労働も普通ですけれど、何かダラダラして一生終わるよりよっぽどいいやって思えるようになった(とはいえきついんですけど)。

 酔いが醒めたらうちに帰ろう は会場情報によると映画化されるそうなので、こりゃ観にいかないといかんわ。2008年というから今年には完成されないのでしょうが、今から期待しています。 

 若くして人が亡くなると皆がつらくなる。西原さんもつらいだろうけど、息子をなくしたお母さん(鴨ちゃんの母)、と小学校の息子娘のことを思うとね、、、。

 親に先立つ不幸者というけれど、鴨ちゃんの親は戦場で倒れる事はあるかと思っていたのだろうけれど、こういう形でがんという病に倒れるとは思っていらっしゃらなかったんじゃないかなあ。でも息子さんはいい仕事しましたよ。

コメント(4)

モトキーナ :
 鴨ちゃん逝去のときも、悲しみを日記に書いておられたけれど、追悼式に参加されるなんて、OKEさん、本当にファンだったのですね…。改めて日記を読んで思いました。  熱心なファンの方が、たくさん参加され、盛大に宴が行われたこと、主催側も、ご家族も、あの世にいる鴨ちゃんも喜んでおられることでしょう。42歳は若いけど、誰よりも力強く人生を突っ走っていた彼は幸せだと思います。  
okesan :
モトキーナさんもタイの達人 鴨ちゃんもタイの達人 ただ、達人といっても若干ジャンルが違うような気がしますが、タイは魅力的な人を呼び寄せる魔力があるのでしょうか。 戦場カメラマンの前線基地としてもバンコクは都合が良かったということもあるのでしょうが。
モトキーナ :
>戦場カメラマンの前線基地としてもバンコクは都合が良かったということもあるのでしょうが。 鴨ちゃんは、戦場カメラマンだったのですか???(よく知らなくてごめんなさい) 鴨ちゃんは、私と同世代なので、実際にバンコクが戦場ルポの基地として格好だったかは知りませんが、鴨ちゃんが「師匠」と呼んでいた戦場ジャーナリストHさんはバンコク時代の知人です(一昨年、イラクで襲われ亡くなりましたが)。Hさんは私よりも2まわり程年上で、時代に呼ばれてバンコクに来た方。この街に寄せる想いは別物でした。  バンコクにはいろんな日本人がいます。日本にいたら、きっと知り合えなかっただろうと思う、違うジャンルの鬼才にも出会ったり。そういう意味では面白い街かも。余談ですが、鴨ちゃんと西原さんのキューピットはHさんでした。w
okesan :
あー、モトキーナさんHさんのお知り合いだったんですか。 いや鴨ちゃんは、Hさんの弟子(バンコクでHさんに弟子入りした)なんですよ。略歴によると1992年にHさんに弟子入り、Tさんとかと世界の戦場を取材。1993ポルポトにつかまる。 となってます。 Hさんも本当に残念でしたね。 鴨ちゃんの話は、最底辺の日本人が集まるテ○メとか、タママッサージとかなんかすごいネタがごろごろしてて、面白かったです。

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このページは、が2007年4月28日 23:05に書いたブログ記事です。

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