なくせ格差
5月1日はメーデー、労働組合は、なくせ格差と貧困ってスローガン掲げていたらしいですけれど、これ、本当に難しいですよね。
働きたくても働けない人、働く気がないので働かない人 それがすべて「働いていない人」でいっしょくたにされる。
働きたくても働けない人でも、失業のような一時的なものか、障害があって全く働けない永続的なものかによっても違う。本当は細かい精査が必要なんでしょう。
その後において、職がない人といっても、「かわいそうな人、何らかの手を差し伸べる必要がある人か否か」という事を判断しなければならなくなる。
心の問題(働く意思)と外見の問題(働いていないという事実)をどう調整付けるかというのはあらゆる場面で出てくる悩ましい問題。でも、人の心の中って他人には絶対わからないんですから。
話は飛びますが、学生時代、刑法を学ぶとまず基本的な部分で(多分今でも学生は学ぶと思いますが)こんなの問われます。
人だと思って狙って人を銃で撃った場合、人が死ねば殺人罪は当然
動物を動物だと思って狙って銃で撃った場合、動物が死んでも無罪(誰かが飼っているペットなら器物損壊罪)も当然。
じゃあ
人だと思って動物を狙って銃で撃って殺した場合、どうか?
動物だと思って人を狙って銃で撃って殺した場合、どうか?
その結果は忘れてしまったなあ、でも刑法の初歩問題かつとても重い問題(人を罰するべき行為か否かという部分で)。
心の中って覗けないですけど、人が死んだとしても、殺すつもりがあるのと、殺すつもりがないのでは、結果が同じでも違ってくるんですよね。それをその人でない外部の人間(裁判官)が、その人の状況や言動からして判断せざるを得ない。
格差社会とはいえ、働いていないからという外見だけ、働いていても給与が安いという外見だけみて、「救いの手を差し伸べてしまう」と本来救うべきではない(怠けているとか)人間まで救うことになり、世の中の人の不満がたまります。こちらのほうも「本来救われるべき人も本来救われるべきでない人が救われる」という別な意味で、格差が発生している。
そんな細かい事を言わずに、職のない人は全部救ったらいいだろうっていう心の広い人もいますが、残念ながら、そういう人は少ないようです。
☆☆☆
17年ぶりに、わしの昔勤めていた会社(社屋は影も形もなくなっているし移転したし、会社自体、別の会社に買い取られたので、名前も会社の体制も全く違っているが、先輩後輩同期があまたいる)に同じ建物の中の別会社への用件で行く。
いきなり、入り口で先輩のKさんWIさんに出会い、なつかしの対面。別会社での後打ち合わせをした後、アポを入れていた同期のMIさんと昼飯。偶然同期のFIが昼飯を食いに来ていて(FIは同じフロアの隣の課にいた)、またまたなつかしく雑談。
なんか大懐かし大会になってました。そんなに長くは会社にいなかったのだけれど、そういう関係って復活し始めると、どんどん元に戻るんですね。
昨年まではめったに会うこともなかったのですが、札幌から転勤してきたHIのおかげで、そういう縁が戻りはじめた。
FIの奥さんは、わしが新入社員の時に隣に座っていた人なので、今日FI家では帰宅したらわしの事が話題に上っているだろうな。しかし、子供が大学生か、、、月日が立つのは早いもんだ。
