硬い話なんですが
輪廻転生というのは、仏教の教えですが、これがなかなか大変なことらしい。
生物学的に言えば、人間がもし死んで他の生物に生まれ変わるとするなら、圧倒的確率で、最近とかバクテリアの類なんだそうです。確かに、シャーレの中で細菌を1時間培養したら、何億個になったりするわけで、日本にいる人間が1億2千万、試験管やシャーレの中の細菌はその中だけで何億個ですから、確率的には人間に生まれ変わるなんてのは宝くじを当てるより難しい。
それどころか、たとえばミミズにだって生まれ変わるのは物凄く難しいことなんだそうな。形ある多細胞生物に生まれ変わるだけでもこれは大変なことだそうで。
M輪A宏なんが、前世は「天草四郎時貞だとか」言っているけれど、そんな有名人が前世だったなんてのは、もう絶対あり得ないくらいの確率。人間ー人間に生まれ変わるだけでも、地球上にいる生命の数を考えるとほぼゼロに近い確率なんですからね。
そうなると、どうしても「人間は他の動物より違うんだ」ということに人間の存在意義を求めたくなる。人間と動物を分け、神様と人間と動物の世界だけで収束してしまえば、楽なんですね。
輪廻転生を説く仏教にしても、お釈迦様は虎やウサギに生まれ変わって功徳を積んだとかいろいろのことがありますが(ウサギになって食べられるというような功徳を積んだ)、そもそも功徳をつめるような動物に生まれ変われるものなんだろうか?、大腸菌に生まれ変わって中毒を宿主におこしたら功徳どころじゃないからなあ。あ、ビフィズス菌に生まれ変わったらいいのか(笑)。
詳しくは無いけれどキリスト教やイスラム教のように「輪廻転生=生まれ変わり」はなく、死ねば神の審判により「神の国に行く人」とそうでない人が分けられるというようなほうが人間の精神的には遥かに楽ですよね。楽だからその宗教を信じるってものでもないのでしょうが。
そういう死後の輪廻転生の世界がどうなっているかなんて知る由もありませんが、死後の世界でなくても、人間の精子は1ミリリットルに2000万個以上あり、正常な精液は1回に2ミリリットル以上あるということですから、人間は最低でも4000万分の1の確率でできているのは有名な話。
子午線の4000万分の1が1メートル(おおよそ)だから、今から北へ北へと歩いていって北極を回り地球の裏側を回って、更に南下して南極をまわりオーストラリアを縦断して、また自分の家に帰ってくる(海を歩けるかは別として)。その全行程のうち自分の足元から1メートルの距離が4000万分の1ということですから、前世があるかないかに関係なく、自分がここにいることすらいかに偶然の産物であるのかわかります。
なんだかこういうことを考えると、命を大切にしなきゃいかんなあと思ったりします。
☆☆☆
この前、障害年金のお手伝いをした方なのですが、また体調を壊されて(別の病気で)、傷病手当金のお手伝いをさせていただく事になりました。明後日くらいに訪問してみようかと思っています。
病気が違うと、障害年金と健康保険の傷病手当金は重複して受給できるようになりますので、障害年金が止まる事も無い。
ご本人は、ここのところの相次ぐ病気に内心かなりイライラしていらっしゃる(今日はお電話で話はしませんでしたが)様子、確かにここ数年病気に次ぐ病気なんです。
長期療養により顧客が離れていったり、離れていない顧客であっても仕事が以前のようにスムーズに上手く進まない(言語機能や計算等の機能が落ちているので)のがイライラの原因ですけれども、だからといって絶望的になったり、落ち込んだりはしてほしくないですよね。何しろ天文学的な確率を通り抜けてこの世に生まれてきたわけですから。
どのくらい蓄えがあるのか知りませんが、早めにリタイアしてのんびりするのも良いでしょう。
と、すこししんみり考えてしまう今日のわし。
今日は、ここのカキコミの常連「いも幹事」のお話を聞きに茗荷谷まで行って来ます。

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