病気をして思う
うちの親は2人とも、施設を利用させてもらっています。それがいい事か悪い事かわからないけれど子供で面倒を見切れない以上やむをえないことかなと思っています。
父親は施設に入れられたことが大いに不満で、あちこちの遠い親戚に不満を訴えている。そのたびにうちの兄弟は「恩知らず、冷酷」みたいな噂を親戚の内で立てられているのでしょうが(たぶん)。以前にも書いたのですが、今日が何曜日かわからない状態になっているのに、「自分たちで生活はできるのに子供たちが施設に入れた」と思っているのですから、始末に終えません。
しかし、これも、子供がいたからこそできたこと。姉があれこれと足を運んで空いている施設を探したり、ケアマネジャーさんにいろいろと相談して実現できたこと。子供がいなければ、曜日がわからないような日常生活が満足にできない老人二人が、相変わらずめちゃくちゃな生活を送っていたでしょう。トイレも満足に掃除できなくなっているのですから汚し放題、そんな中で暮らしていたのだと思います。
振り返って思うに、単身のお年寄り、あるいは子供がいない夫婦のお年寄りはどうなるんでしょうね? いつも思うことです。わしが将来そうなる可能性が高いから。
老人を受け入れる施設はいろいろありますが、基本的に順番待ちで、早いもの順なので、早めに手を打たないといけない。ところが、単身のお年寄りや、子供がいないお年寄りは、もう「頭で施設を選ぶというような考えは回らず」、そのままズルズルと生活をしていくだけなんじゃないかなと思ったりします、いやその可能性が高い。厚生労働省も在宅介護重視で、施設介護は基本的に嫌いのようですし(金がかかるからなんですが)。自分の頭の中で「まだまだ自分ひとり(または夫婦)で暮らせると思うことと、他人からみて「こりゃ生活なんかとてもできないわ」と思うことには明らかに差がありますからどうしてもタイミングがずれる。こういうのは客観的に見られる他人(子供を含めて)の判断が一番冷静ですが、そういう判断をしてくれる第三者がいないというのはかなり厳しい。
子供がいなければ、最終的には行政やら、ボランティアがなんらかの世話をすることもあるのでしょうが、それでも子供があれこれと目を配らせているのとは明らかに差があります。
子供の世話になりたくないという親も多いですが、これは、「こどもに身体的世話をかけたくない」ということと「経済的負担をかけたくない」ということであって、施設を選んだり入れたりという部分ではどうしても世話になるのは止むを得ません(そこまで世話にならないというのはほぼ無理です)。
一昨日引いた風邪は、1日寝ていたおかげで、ずいぶんと楽になり、普通に生活ができるまでに回復しましたが、本当にこれから先のことを思うと、暗くなりますよね。
もし今回の病気がとても重い病気だったら、この部屋の荷物は誰がどうやって片付けるのだろうか? とかいろいろと思うことも病気をした時が多いのです。甥っ子には迷惑をかけたくないしなあ。頭が回るうちにできるだけの事はやっておきたいと思う。あと○ヶ月と余命を宣告されるタイプの病気のほうがわしには向いているのか?。
熱が出ている間は、何となくぼんやりとしているのですが、熱が下がるといろいろとネガティブなことを思って、暗くなってしまいます。
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