安らかな死に方
岡山県の鍾乳洞の地底湖で大学生が遭難した事件は、捜索が打ち切りと報道されてました。いくら1年中気温の変化の無い鍾乳洞の中とはいえ、1月に地底湖で泳ぐなんて考えられないのですが、ご家族の落胆はさぞかしでしょう。
遭難した地底湖まで行くのに3時間、捜索隊も行きかえりに6時間もかかるので体力消耗が激しいのだそうです。いやあレスキューって本当に大変ですよね。雪山での遭難者の捜索もそうですけれど、現場に行くのだって半端じゃない作業だ。
で、この記事を読んでいて正直、わし自身がパニックになりそうだった。
いやね、溺れて死んでいたらともかくも、洞窟内で生きていてさらに奥に流されて湖岸にたどり着いていたりしていたら、そのまま座して死を待つしかないですもんね。大嵐で座礁してボートで海の上を漂流しているのと同じ絶望感かもしれないけれど、まだ海の上のほうが、太陽の光があるだけまだましか。光も音も無い(こうもりの羽音やするのか)洞穴の中で寒さに震えながらじっと死を待つしかない。その恐怖って想像するだけで怖い。
わしが閉所恐怖症だからなのかもしれないけれど、考えているだけで脂汗がでてきそうだった。普段深い井戸をのぞいた時もにたような恐怖を感じるわけですが、いやほんと絶対洞窟探検なんてしない(できないけれど)。
人間だから死を迎えるのは宿命だけれども、やっぱり普通の安らかな死に方がいいなあと思う。
そういえば、若くして脳の病気で倒れた人は、寝たきりになってたりするけれども、そういう人たちは何を考えているんだろうと思うことがある。呼びかけに反応したりはするので、何かを考える能力はあるのは間違いない。でも、普段は寝ているだけの膨大な時間があるだけ。人間は退屈にも慣れる生き物なのだそうですけれど、ひょっとして寝たきりになっていても、体が言う事をきかないだけで、思考力は以前のままで衰えていないのかもしれない。でもでも本も読むことはできず、ラジオを聴きたくてもそういう希望をする事もできず、亡くなるまでの長い時間、思うに任せない自分の体にいつもイライラしている状態ですごさないといけなくなってしまう?お見舞いや介護に訪れた他人の会話や悪口を理解しているのかもしれないけれど、聞いているだけでなにも答える事ができない。
正直これも怖いです。
時々、こういうことを考え続けると、どーんと落ち込むことがある。そんな波が今日は鍾乳洞行方不明事件でどっと出てきた感じですね。
あれこれと病気が重なって苦しいのもいやだし、みなが「ぽっくり死ねますように」ってお寺とかでお祈りする気持はよくわかります。
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