8月30日
父親は、小心者のくせに見栄っ張りだった。
わしが帰省する時は、大抵「〇時のバスで帰るから」と電話してある。都会のように頻繁にバスがあるわけでもないから1本はずすと2時間くらいは後になったりしますからね。
バスの時間が近づくと、縁側に出て双眼鏡(港町なので双眼鏡で港に出入りする漁船をを見るのが父親の趣味だった)なんぞ使って、まだ着かないかなとそわそわとバスを待っていたらしい。で遠くにバスが見えると(わしの家から町に入ってくるバスが見えた)何事もなかったかのように、いかにも関心がなかったかのように、椅子に座っておもむろに本なぞ読んで「お、帰ってきたか」というそっけない態度をすべく格好をつけていた。
当人は父親の威厳みたいなところを子供に見せたいつもりだったのかもしれないけれど、母親が全部ばらしてるから(笑)。
飛行機に乗るときはいつも遺書を書いていたし(笑)、これも母親がばらして見せてもらったわけですが。別に家に財産があるわけじゃないので、心得みたいなものをあれこれと書いてあったのですが、飛行機に乗るのに遺書ってのもねえ。
今年のお正月は、父親と2人で年越しをした。
何しろ、お雑煮なんてのを作った事がないので、お餅は姉の家からきていたが、どうしていいかわからなかった。
一瞬餅は焼いてそのまま食べようかと思ったが、元旦でもあるしそれはまずいなと思いなおし、インスタントお吸い物に餅を焼いて入れて簡単なお雑煮にした。姉が来ていたらもうすこし立派なお雑煮になっていたのだろうが。
そんなインスタント雑煮が、本人の人生の最後のお雑煮になってしまった。前にも書いたと思いますが6月頃から全く食事を取れなくなってしまっているのです。最後になるなら普通の雑煮を食べさせてあげればよかったかなと思うが残念ながら仕方が無い。
小さい頃から、父親とはそりが合わず、いがみ合うことも多かった。
迷信がすきで、「行くな7日、戻るな9日」という迷信をかたくなに信じて(祖父も信じていたようで、旧制中学(父は下宿していた)がお正月明け8日から始まるのに、7日(前日)には行くなと厳命されて、6日に行って7日は1日中ぼやっとしていたらしい(自分が嫌な思いをしたなら子供に押し付けなきゃいいのに)、わしが小学生の頃は姉のところに遊びにいって8月の20日が最後の夏休みの登校日か何かで、19日に帰ってくればいいのに、戻るな9日にひっかかったため強引に18日に戻らされたりした。高校生くらいになってから後はさすがに一切無視したけれど、心のわだかまりはずっと残っている。
曾孫(わしの姪の子と父親は80年以上も年が離れている。父親が生まれた時と曾孫が今の父親くらいの年齢になる時との時間差は160年以上にもなる。160年以上の隔たりのある景色を見ているんだな。
父親は戦前極秘中の極秘だった帝国海軍の不祥事のこの事件も記憶にあるというのだから(地元民なので極秘であっても知っているわけで)、本当に生きている化石みたいなもんだなあ。第二次大戦中は空襲警報が鳴ると、リュックを抱えて学校に行っていた(教員なので)らしい。
元気なうちは、口うるさいし、わがままだし大変でしたが、病気で何も言わない寝たきりになると、それはそれで少し寂しくなるから不思議だ。
そんな父親、今日が90歳の誕生日でした。
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