2009年8月アーカイブ
一昨日は選挙と同時に最高裁判所の国民審査もあったわけですが、昔学生だったころ某教授が、
「あれは、全員にバツをつけなきゃいけません!」と気色ばんで講義中に話をしていたのを思い出します。
かなり左がかった人だったですけれど、毎日仕事で法律に接している人は最高裁って憤懣やるかたないほどの判例をいろいろと出していると感じているわけで、人によりいろいろな意見があるもんだなあと思ったわけです。ですが、大抵の日本人には法律の話はちんぷんかんぷんで、なんでこんな制度があるのかかわからん、無駄じゃないかと感じている人も多いでしょう。
いや、あれ全員にバツをつけてもいいなんて知っている人より、どれか1人にバツをつけなきゃいけないと思っている人も結構いる様子。仕組み自体もよく周知されていない様子です。
でも、この仕組み要りますよね。
実際クビにならないから不要、なんじゃなくてクビになる可能性がわずかでもあるから必要なんですよね。
もし最高裁判所の裁判官が、ええええ? と思うような判決を出して世の中騒然となった時、この制度があるかないかでずいぶんと違ってくると思います。
世の中の仕組みというのは、その存在だけで機能しているものってあると思うんですね。そこは理解しておかないといけないような気がします。
酒井法子芸能界追放で損害5億円かぁ。やっぱり有名芸能人となると、ケタが違うもんだね。
最盛期の年収が1億2千万円を超えていたというから、月1000万円!
正直月1000万円ってどんな生活になるんだろう。ホリエモンは月収100万円になったら大抵のものは買えるようになるので物欲はなくなると言っていたんだけれど。今酒井法子はどれだけ稼いでいたのか知りませんが、一般人よりははるかに恵まれた生活だったと思うのに、月並みだけどなんで覚せい剤なんかやるかなあ。
☆☆☆
選挙で大騒ぎでしたが、今日は父親の91歳の誕生日でした。
父親は昔から選挙が大好きで(田舎の人はだいたいに選挙好きな人が多いです。特に市町村長とか市町村議会の選挙はすさまじい)、元気でいたら朝イチで選挙に行き(年寄りの特徴)、夜はテレビにかじりついていたんだろうなあ。
母親が、平均死亡年齢よりちょっと早くに亡くなったのに比べて、父親は男性の平均死亡年齢より10年近く長く生きているわけで、まさに何が起きても年に文句はないだろうです。1日23時間半は寝ていますのでおめでとうのお祝い電話もなし、淡々としたものです。言われたって本人理解してないもんなあ。
父親が鼻腔栄養になってはや1年3か月。ネット検索によると鼻腔栄養になってからの生存年数の平均が1年10か月ほどだということですので、来年あたりまたお葬式かなあなんて兄弟でいっているわけですが、さてこれからどうなるんだろう。
父親の場合は、病院で延命をしているわけですから、朝になったら冷たくなってたというような最期が確率的には最も高く、危なくなったからといって急に東京から田舎に戻っても時間的に最期は看取ることはできないでしょう。母親の時のように何日も病院に泊って様子を見るということもないと思います。
管も呼吸器も何もつけず、手にお守りを握らせて、ずっと耳元でいろいろなことを話しかけて、延命を何もせず逝った母親とどちらがいいのかよくわかりません。
ただ前にも書いたと思いますが、母親が、「長生きをすることにそんなにも貪欲ではなかった」のに対して父親は「長生きをすることに極めて貪欲」だったのは、80歳を過ぎても神社に参拝に行って「長生き祈願」をしていたことを見れば明らかで、延命措置は父親本人の長生きしたいという意思に合致したものなのでこれはこれでよかったのかなと思ったりします。
延命をした父親としなかった母親と、2人を見て思うことはいろいろあります。
唯一言えるのはどちらの選択がよいか答えは絶対でないということ。どちらも正解だと思いますしどちらを選んでも悔いは残ります。
ただ、周囲の人のエゴで寿命を操作すること、たとえば実際にあったのですが、年金額ー介護費用=プラス つまり年金で必要な介護費用を賄っても収支がプラスになる(貯金ができる)くらい年金額の多いお年寄りの面倒を見てる家族で、医師に「どんなことをしてでもとにかく長生きさせてください」とお願いした人がいましたが、そういう自分たちのヨコシマな考えでの命のやりとりするのはちょっと同意できませんね。親の年金にすがって生きている不肖な子供(障害を持っている等のきちんとした理由がある場合を除く)も世の中にはいるので、全否定はできませんが。
夕方から会社の経理の件でAさん(鹿児島出身)とお会いして雑談しましたが、「親がいなくなると田舎に帰らなくなるよねえ」という話では意見が一致。
父親が亡くなったら本当に、「年2回の墓参りを兼ねた里帰り」になってしまいそうな気がします。そうすると年に5,6回帰省することを想定して買っていたANAとJALの株主優待券も近い将来余り気味になるか。どっか遠方で仕事がないかなあ。
選挙戦の最終日というこで、このあたりも選挙カーが走り回り、うるさいうるさい。明日からまた平穏が戻ってくると思うとホッとする。
声を荒げたら票が伸びるのか?わしはよりうるさい人には絶対投票したくないがやっぱり候補者は効果があると思っているんだろう、だから走り回るわけで、世の中というのはよくわからん。
☆☆☆
高校の同級生で名古屋にいるI川と10月の第一金曜日に逢う約束が取れる。懐かしいな。たぶん高校を卒業して1年後にばったり田舎の駅であって以来だと思う。そのころは関西方面とか九州方面に行く夜行列車があったんですねえ(懐)。
そういえば受験で東京に行くのは、大抵が寝台列車で、時々講談でお世話になるM田さんも、「いい加減あの寝台がうんざりでいやだった」と感想を述べていた。
今なら飛行機を使って上京するのでしょうが、当時は飛行機を使って東京に受験で行くという人間はあまり(いるにはいたが)いなかった。ブルートレインは現在ほぼ廃止になったけれど、やっぱり中年オヤヂオババの心の中には良くも悪くも強く残っているもんだ。そういえば中学の同級生のK場も、就職で上京した時は寝台特急だったと言ってたな。
夜行列車に独特の雰囲気があるのは、そういう心の中の記憶のアルバムへ貼られていた思い出が人それぞれいろいろとあったからなんでしょう。飛行機ならあっという間だしビジネスライクな乗り物だからそんなには覚えていなかったはず。
話は脱線しましたが、昔は同級生に会うのは楽しいは楽しいがそれほどでもなかったが、今は違う。もっと年をとったらもっと楽しくなるんだろうかな。
すべての出会い(あ、犯罪に巻き込まれるようなのは除く)に感謝せねばならんですね。
しかしI川新型インフルエンザで自宅待機(本人じゃなくて息子さんが罹患)かいな、今年の冬はもっと流行しそうで本当に怖い。
わしはもう9年、ウィルコムの電話をメインの通信用に使っています。
あーだこーだと悪口言われながらも、別に不自由はしませんでした。確かにPHSですから新幹線のような高速の乗り物での通話はダメダメです。でも新幹線に乗ることはそんなに頻繁にあるわけじゃない。エリアも狭いといいながら、東京あるいは関東一円で使う分に圏外になることはほとんどないのでさして気にしませんでした。
実家に帰省しても、わしの動く行動範囲内はまず大丈夫でした。
ところが今回、、、厳しかった。
まず母のいた介護施設がちょっと奥まったところにある山の中。なんで完全に圏外。先々週5日連続寝泊まりしたときは、緊急に何かあった場合は別の仕事用(会社備品)のAU携帯に連絡してもらった。
で、お葬式。通夜と葬儀で2日斎場に泊まったのですが、これがまた火葬場に近い山の奥まったところ、一応ピクトは1本ギリギリで立つのだけれど、コール音が鳴って電話をとると電話が切れるくらい不安定。だめじゃん。
結局、田舎の中の田舎に行くと本当にダメダメなのは残念ながら改善されていないのを再認識。肝心な時に使えないのは強く印象に残りますからマイナスイメージ強いですよね。普段の何倍も利用する時なんだから。
とはいえ今更電話番号を変えるのは面倒ですし(PHSは同一番号で携帯には変えられない)、今回のような特別な事態はそんなにあるわけではないので、ウィルコムが続く限り今後も電話は持ち続けますがどんなもんだかねえ。通話料が安かったり、音質がよかったりというようなメリットも最近はいまいちだしなにか惰性みたいな感じもする。
で、PHSとは別にわしが持っているうちの会社用の電話も、D君の提案で、AUの普通の携帯から「google phone」に変えることになりそうです。
そうすると、わしの今もってるウィルコム03es は完全に機能的に重なる(PDAってやつなので)。音声通話は、自分のオフィス+個人用 と 自分の会社用と2つ必要だけれど、ウェブの検索やメールのやり取り、スケジュール管理や住所録等に関してはそれができるPDAが1つあれば十分だから似たようなものを2つも3つも抱えて歩いても重いだけ。なんぼなんでも電子スケジュール帳2ついらんわな。
てことで、ウィルコムの今もっているPDA「zero3es」は、電話メインに機種変更と料金コース含めて変更しないといけない。「google phone」で普通のノートPCを接続させるモデムとしての機能もわしは仕事上よく使うので、それを含めた定額プランが10月から開始らしいので、それを待って機種変更か。
それにしても、電話やらIT関係が苦手なので料金プランやら何やら複雑極まりない。これだけ進歩した社会もいいのか悪いのか。今書いていることも、ネットに詳しい人には常識以前の話だろうけれど、一般の人だと「何書いているんですか?」的よくわからない人も多かろう。
はてさて、いつも電話を2つ抱えて移動する日々もこれから当分続くんだろうな。電話嫌いなんだけれどなあ。
あら、UPしたと思ったらうまくいってない(汗)。また書きなおしだ。
昨日買ったメガネを夕刻に受け取りに行く。
この前買ったのは5年前くらいだろうか、メガネ屋さんによると2,3年毎に調整が必要だとか。まあ商売的な部分もあるのだろうけれども、確かにそろそろ老眼になっている同級生も多いし、こまめに調整が必要な年齢でもあるのだろう。
今回は大丈夫だけれど次は老眼も考えなきゃいけませんねとメガネ屋さんにも言われた。早い奴は40歳になる頃からなりますからねえということだが、確かに40代前半で、雑誌を遠ざけてみている同級生がいたなあ。遠近両用だとレンズの価格は近視用よりはるかに高いらしく、年を取るのも金がいる。
今回のメガネは前買ったのよりちょっと度を強くしたので、ものが小さく見えるし、なれてないのでまだちょっと怖い。
度がきついと疲れやすいので、パソコン作業用にはパソコン用メガネを買うことを強く勧めれれたが(営業トークもあり)、まあそれも考えなきゃいけないだろう。確かに1日中パソコンの前にいると目がしょぼしょぼすることが多い。
☆☆☆
母親が買ってくれた数珠が、母の葬式に間に合わなかった。
母の体調が急に悪くなってから、仏壇のところで姉がわしの数珠が壊れているのに気がついて、仏具屋さんに持っていった。
「これは大変良いものですからきちんと直しましょう。房も正絹のいいのにしないと釣り合いがとれません」ということで、修理にかかるのは1ヶ月と言われ、残念ながら間に合わなかった。
わしはほとんど使った記憶がなかったのだが、父親が勝手にわしの数珠を持ち出して(他人の)葬式に行ったりしたため、母はずいぶんと怒っていたらしい。生涯他人の気持ちを考えず無神経なことをやり続けていたなあ、親父は(まだ生きているけれど)。これが原因で数珠が壊れたのかどうかわからないけれど、遠因のひとつでもあるだろう。
しかしありがたい。
数珠ひとつに母親の気持ちが入っている。壊れなきゃ数珠なんて一生同じものを持ち続けてその価値がわからないままだったのかもしれない。いわば気づかれない、感謝されないかもしれない部分なんです。洋服やカバンと違って数珠の優劣なんて一般人にはわからない。でも、壊れたがために、「そういうところに手を抜かずきちんとしたものを子供に残そうと思っていた」ことが初めてわかる。また感謝の念が一つ増える。あと「しょーがねーなー親父」感も増えたが(笑)。
わしが死ぬ時、お棺の中で、わしの手にかかっているであろう数珠。こういうことがあると親は超えられないと強く思うですね。
夏は仕事の端境期なので、普段ならゆっくりできる時期だけれど、さすがに2週間近く何もしていないとそこそこに仕事はたまる。
てことで、今日はお客さんのところへ2か所、午前と午後出かけて役所に行って1日終わってしまった。あと社会保険事務所での順番待ちが1時間かかったけれど、ま、この程度の時間待ちは仕方がないか。
別段仕事復帰前と何かが変わったというわけではないけれど、スクーター移動中に、意識していない時はともかく、意識をしている時は、「無茶して自滅したらいかんなー、親に申し訳ない」と思う気持ちが強くなったのは間違いない。
スクーターは本当に生き物で、2週間以上のっていなかったのでエンジンがなかなかかからなかった。まだ夏だからいいけれど冬だと相当起動に苦労したと思う。で、途中エンジンオイル警告灯がついたので、ホームセンターで2サイクルオイルを1缶購入。排気ガス規制で2サイクルエンジンがどんどん淘汰されている昨今、近い将来2サイクルエンジンのオイルも発売されなくなるんだろうなあ。
お客さんのところでいろいろと説明をしていたが、その時「駐車場監視員」が回ってきた。駅より遠くの、しかも、個人の家の前で、なおかつ二輪なので昔なら全く問題はなかった所なんだけれどねえ。監視員は重点的に四輪をチェックしていたので二輪にはあまり関心がなかったみたいで通り過ぎていきましたが、ちょっと油断するとすぐに写真を撮られるですよ。ま、取締は法律通りだからといわれればこちらが悪いんでしょうけれどねえ。
☆☆☆
母親に関して、保険会社をはじめいろいろなところからいろいろな手続書類が来る。事後処理も意外とあるもんだ。
でもこういう書類や請求書を返送すると、生きていた痕跡がどんどんとなくなるような気がしてちょっとさみしい気になってしまう。
昨日は到着する飛行機が遅れ、その玉突きでわしの乗る飛行機の出発も10分遅れとなって東京に戻りました。飛行機からは離陸してすぐ懐かしい島根半島が見えました。わしは中学を卒業したらすぐに高校で下宿生活のためこの地を去りましたが、ここに母は40年近くくらしていたんだなぁ。でもいろいろなしがらみがあって最後までなじめなかった母。晩年に家を売り墓地を移してそこで眠らなくても済むようにしたのがせめてもの救い。
プレミアムクラスは1回試してもういいやって思っていたので、まさか同じ路線(東京ー米子)でもう1回乗るとは考えもしなかった。シート等考えると+1000円のクラスJ(ただしこの場合は出雲空港)はアリですが、プレミアムクラスはちょっともったいない。確かにプチ高級感は味わえますが、たかだか1時間20分のフライト(水平飛行は40分ほど)なんだから。もっと金が稼げるようになったり沖縄便のような長距離(といっても国際線からみたら短距離だけれど)だったら使ってもいいかなとは思いますが。あ、あと今回みたいに普通席が満席でプレミアムクラスのみありという場合は否応なしだけど。でも本来はお金ある人や会社の社長等偉い人が使うべきものですよね。
午後5時15分頃羽田到着、錦糸町行きのリムジンがほとんど待ち時間なしであったのでそれを利用して錦糸町へ、1駅だけJRに乗って懐かしい我が家へ、で、そのまま疲れてダウン。
なんだかどんよりとした疲れが体に残っているんですよね。運動の後のような足が痛いとか、腰が痛いとかいうような感じではない疲れ。
☆☆☆
8月はもう4週間近く過ぎましたが、なんだか長いようで短いようで長いようで短いようで、、不思議な感覚です。
8月10日から昨日までは、1日1日がいろいろとてんこ盛りでとても長く感じましたが、終わってみればあっという間。
この感覚は何だろう、どこかで経験したはずと思って振り向いて考えると、、
あ、そうだ、旅に出た時の感覚だ。
旅に出ると、あっちに寄り、こっちに寄り、夜は名物のご飯を食べに出て、、、いろいろな行動をするため普段と違って1日がとても濃密に過ぎてゆきます。1日に目一杯のスケジュールを組んでいると朝も早いし夜遅くまで動きまわってとても長く感じる。でも旅が終わって自宅に戻ると、あれっ1週間あっという間だったなあと思う。今回、18日に田舎に帰ってから、昨日まで5泊6日だったのに、何か家について家のドアの鍵を開けるときは何か1ヶ月ぶりに帰ったような気がしました。
8月はもう普段の月の3ヶ月くらい時間が経過しているような気がしますがあと1週間あるのですね。
落ち着いたら、昔からしたかった社寺巡礼の旅を始めたいです。気に入ればライフワークにしたいな、人生はそう長くないですからやれる時にやれることをしないと。あと海外も出かけなきゃね。
いつまでも田舎にいるわけにはいかないので、東京に戻ります。って、飛行機が午後の3便全部満席(大汗)。帰れないじゃんか。
15時半出発の便のプレミアムクラスだけが空席があったので、泣く泣くプレミアムクラス予約(5000円の追加出費)。昨日の夜までどたばたしてANAのサイトなんて見てなかったんだから仕方がない。キャンセル待ちしても乗れる保障がないですからね。
というか実はその前の12時半の便でキャンセル待ちをしたのだけれど、1席しかキャンセルが出なくて乗れなくて、次のの便の出発まで空港で時間があるので現在ブログを書いているのです。
いやあ、故郷の景色はいいですよね。心が洗われますよね。山も湖もすべてが懐かしい。
でも、次からは何を楽しみに帰省したらいいんだろうと思うとちょっと曇りがちになります(父親はまだ生きてはいますが、声を掛けても反応がありませんし)。今までは帰省して母の顔を見ることがとても楽しみでした。末期になってかなり体調が悪くあまり顔に表情を出さなくなっても、生きている姿を見るだけで癒されました。
しかし、次の帰省からはそんな楽しみはありません。お墓にお花を持っていっても、仏壇に線香をあげても、そんな作業は5分も(墓掃除を除いて)かかりません。
☆☆☆
8月15日は高校の同窓会でした。母の容態が小康状態だったので、参加しました。
大変な時期に何やっているんだという批判は甘んじて受けますが、本当に連日介護施設につめていた緊張がほぐれてとても楽しく過ごせ、癒しになりました。大変な作業だったろうけれど、同窓会を開いてくれた同級生に深く感謝します。
本当に友達っていいなあって思います。
墓参りだけなら帰省することがすごく低いモチベーションになってしまいますが、こういうイベントがあると、故郷に帰ろうかなあという気が起きてきます。
高校の同窓会を取り仕切るT橋君はとてもマメで、来年もベルギーからY君が帰国するのにあわせて歓迎会をやろうといっています、来年は中学の同窓会(5年毎開催)があるからなとN食品の社長に言われました。
お盆の頃だと、法事(初盆)と重なるかもしれませんが、重ならなきゃ絶対でるぞ。
ブログを見て、書き込みをしてくれたT爺やメールをくれた友人にも感謝します。あんたらがいるおかげでどれだけ人生きつい時救われるか。特に妻子というフィルターのないわしなんか思います。
さてとそろそろ、搭乗時刻が近づいてきました。今日は大山がきれいに見えるかな。わしが育ち母が長年暮らしていた町が窓の下に見えたらちょっとホロリとするかもしれません。
母親が遺言を残しておいてくれたおかげで、ずいぶんと助かりました。
最低限の親戚のみに連絡しあとは連絡しないようにという内容です。
おかげで、葬儀の参列者は15人だけでしたが、微妙に遠い悲しみをあまり感じない距離の親戚には連絡しないため参列はなく、お香典と香典返しというようなわずらわしいことは一切しなくても済みました。葬儀の司会者もなしで済みました。諸般の事情から完全黙秘が徹底せず電報は2通舞い込みましたが。
質素だけれど、本当に悲しい人だけが参加する葬儀は悪くないやり方です。興味をもたれる方がいらっしゃったらお勧めします。しがらみからなかなかそういう風にはできないことも多いのでしょうが。
姉も遠い親戚が来れば、「葬儀のあらさがし」が始まり大変だっただろうなあといってました。葬儀ではやれ花が派手だとか数が少ないだとかどうでもいいことにあれこれとうわさを立てられることがとても多いです。
丸秘にしていた影響で、葬儀に前後して姉の友人から姉に母の病気見舞いが来たそうです(笑)、まあこんなこともあるでしょう。
父親はまだ亡くなっていませんが、母親の遺品を整理していたら父親の遺言に近いものが出てきました。
「葬儀は質素にやれ」と書いてありました。やった、母と同じく近親者だけで葬儀できる。ん、でもその後に「地方紙山●●央新報に広告を載せろ」ということも書いてある。
やばいじゃん、田舎なんだからそんな風に新聞広告出したらすぐに、通夜や葬儀に人がやってきて収拾がつかなくなる(苦笑)。質素にしろという意思と矛盾してしまう。
ちょっとしばらく考えて思いついた。あ、広告は出せと書いてあるが、いつとは書いてないな(笑)。
そっかそっか、49日の法要が終わり、納骨も済んだら「新聞広告」をだすようにしよう。そうしたら遺言の矛盾が解消できる。しかし、広告料金は出した経験のある人に聞くと20万円近くするらしい(苦笑)。もったいないなあ。でもでも父親の遺言だし、どうしたもんだろうか。
やっと、葬儀一連のことが終わったので、残務整理を土曜日にして、日曜には東京に戻って日常の生活に戻ろうかと思います。
メールやコメントされた皆様本当にありがとうございました。本当に癒されました。
☆☆☆
母親が「1ヶ月もつか厳しい」 と介護施設の医師にいわれたのは今月の3日、まさに突然でした。
急に食事を全く取らなかったとのこと。前の日記にも書きましたが、6月の末に帰省したときはまだ、チョコやフルーツ等好物は食べてましたし、食が細くなったのは気になってましたが、ここまで急に悪化するとは思いませんでした。
お医者さんからそういわれてすぐに介護施設に、今後のことをどうするかを訪ねられ、姉は「延命を一切しない」と申し出たそうです(わし等他の兄弟も承諾済み)。
延命をしないというのは、簡単なようでとても難しい。本当に今回思いました。
特にどこが悪いというわけではないので(死因は80代ですが老衰でした)、食が細くなる問題は鼻腔栄養にすれば、当面は回避でき生きて行けたでしょう。
ネット検索によると、何もしない場合に比して、平均2年近くの延命が期待できるとか。母親の場合も、これをやれば1,2年は延命できたかもしれません。
ただ父親(現在鼻腔栄養中)は、すでに反応がほとんどなく、朝から夜まで寝ている状態、息はしているけれど人間としてはもうどうかなとう状態。母親もそこまで引きずって生かしていくほうが幸せなのか、本人の感じる痛みや苦しみの問題を含めて母親に対して鼻腔栄養にしたほうがよいことだったのか、今でも結論はでてません。
延命治療をしない、なにもしないというのは本当に何もしないことです。
母親のターミナルケアの病室(介護施設なので居室)に入っても、何もありません。母親が横たわっているだけ。
病院じゃないので、危ない状態になっても心電図等体につける機器も一切ありません。苦しそうに息をし、無呼吸になっても体をさすって元気付けるだけしかできません。
施設の職員さんに「本当に延命をしない方針で看取られるんですね?」と驚かれました。聞けば、「延命をしないでほしい」といわれた方でも、多くの方は、「途中から方針を転換される」のだそうです。
その気持ちは痛いほどわかります。今つらい思いをしている母親に、栄養を与えれば、とりあえず本人のしんどい状態は取り除けます、そして手を握ったら手は暖かい、何もしなければその手が極めて近い将来冷たくなる。その悲しい現実を回避したいと本人または家族が思うのは人間のきわめて自然な感情、方針を変更することは普通にあることだと思います。
本人のために最大限のことをしてあげたかということを自問自答すると、延命拒否の選択は家族に対してものすごくプレッシャーになることだと思います。一時期は本当にそのプレッシャーがのしかかってきてつらく感じました。
「つらい思いをさせたくないから、意識のない状態で生きながらえさせたくないから、延命はしない。」
言葉で表現するのは簡単ですけれど、わしのような精神的に弱い人間には、本当にそんな簡単に片付けられるほどに軽いことではありませんでした。今でも選択が正しいかどうか悩み始めると迷路に入ります。
ただ、延命をしない選択をした人が、延命をした人をあれこれ言うべきではないし、延命をした人が延命をしない人をあれこれ言うべきではありませんね、ここは大きいと思います。人の選択はそれぞれ。宗教的にこういう選択肢をとるべきというような明確な指針がある人を除いて、みんなものすごく悩んで、苦しんで、最後に結論を出しているんだと思います。そして結論を出してからも苦しむ。親のことだから安易に即断できることではありません。
あとは、周囲の問題もあります。延命で寝たきりにした状態ということはさらに介護が続くということでもあります。今までと違って普通の介護では無理ですから、鼻腔や経管栄養の老人を看てくれる施設があるのか?そこのコストは、、、施設がないなら自宅で鼻腔栄養のままのお年寄りを見れるのか?あとは介護する側の精神的、肉体的な緊張が今後介護が続くことに耐えられるのか。
父親の場合は偶然、ありがたいことに「長期入院を可としてくれる病院」があったために、この問題をクリアできましたが、なければ途方にくれたかもしれません。
さらには本人の意思。高齢になっても、「長生きさせてください」と神社にお参りをしていた父親と、いいところの出で気位が高く、醜態を晒すようなことに抵抗感のあった(介護施設でオムツを変える事もすごいストレスだったんだと思う)母親との気持ちの違いが延命処置の有無にも多少は影響を与えています。
いずれにせよ母は、生命維持用の点滴(姉はこれもはずそうかと言いましたが、さすがにのどの渇きを(感じているかどうか知りませんが)感じたまま亡くなるのは忍びないのでこれはお願いした)以外、一切の薬、医学的処置なしで逝きました。
昨日、父親のいる病院に母がなくなったことを報告に行きましたが、相変わらず寝ていて目も覚めません。スーパー濡れ落ち葉で母親依存の強かった父親ですから、母が亡くなったということが理解できるような状態だったらパニックになっていたはずで、鼻から栄養、尿はカテーテル、あと頭から水を逃がす管、ちょっと痛々しいですがこの状態でよかったんだろうなあとため息一つ。60年以上連れ添った妻が亡くなったことが理解できないというのはある意味幸せなことです。
先ほどまでいろいろと人がいて大賑わいでしたが、みないったん帰宅。
部屋で母の遺骨と遺影と二人きりになったら急に寂しさが襲ってきて思わず涙ぐんでしまった。
なんだかね。
何度も何度もふんぎりをつけたつもりだったんですけれどね。
一昨日昨日と寝不足気味、一段落ついたので今日は長めに寝られるか。明日は介護施設等お世話になったところに挨拶等残務整理予定。
ゴディバのチョコレート、1ヶ月前台湾に行ったときに免税店で買ったものを未開封のまま棺の中に入れましたが、本当に1切れでもいいから食べさせてあげたかったなあ。
今日は家で仕事、午後にお客さんのところで打ち合わせ。
時々猛烈に眠くなる。
地下鉄で15分くらい乗っていてガクンと意識を失う。今頃になって疲れと夜更かし反動が出たのかと思ったけれど、よく考えたら昨日朝4時まで起きていたし、そら当たり前だわ。
☆☆☆
同窓会で、2年生の時一緒のクラスだった「オババ(=ニックネーム)」が今年の1月に亡くなったという話を知ってちょっとショックだった。
いや、親年代の訃報はまあ年齢が年齢だけに仕方がないのだろうが、同級生、同年代がってのは辛いな。ちょっと早すぎる。何があったのか知りませんが、ご冥福をお祈りします。
昔、学生時代に定年退官前年齢の某先生が、「毎日新聞の訃報欄が気になるんですよね」と言われていたけれど、もうちょっと年齢が過ぎるとわしもそうなるかもしれないなあと、実感する。
先生はお元気なら90歳かそれ以上だと思いますが、ご存命でしょうか?東京帝国大学卒なのに二等兵でシベリアに抑留され、体が小さくて弱そうなのでトイレ掃除係を命ぜられ、凍った排泄物を棒でつついてならすという仕事をされていたとチラリと講義中にうかがったことがありますが、こういう苦労をされた方こそ安らかな老後が待っていないとおかしいですよね。
☆☆☆
母親はちょっと小康状態ですが、予断を許さないのは変わりませんので、火曜の夕方にでも帰省します。仕事の塩梅と体調により明後日になるかもしれませんが。
昨日は1時間しか寝てなかったけれど、12時半からの同窓会に出席ししばしの間楽しかった。2次会もでて(飛行機の都合、8月15日なので終日満席で変更が利かない)、最終便で帰京。
楽しいことは楽しいけれど、普段の楽しいことがあった時のような後の余韻が全くない。同窓会が終わってからすぐに素になってへこむ。
空港へ行くバスの中で熟睡、飛行機の中で熟睡。まあ飛行機は寝たら早いすわ。
空港から京急かモノレールかいずれにしても寝にくいだろうと思って、わざとリムジンバスで小岩までの移動にしたのだけれど、そのバスの中では寝られず(苦笑)、なんのため遠まわり&値段の高いになるリムジンバスにしたんだよ(嘆)。
帰宅してちょっと仕事していたらすぐに眠くなった。
起床は午前7時、今日は終日仕事。
明日か明後日にまた松江に戻ります。
熱が38度くらいになり、尿の出も悪くなり、ちょっと心配で昨晩はほとんど寝られず。でも1時間くらいは寝たかな。昨日昼寝をしていたのでなんとか耐えられた。
まあ仕方がない。
やっぱり母親に声は聞こえているみたいですね。
一昨日甥が来たけれどちょうど寝ていて残念だったということを姉が話したら涙1粒(これはその場にはいなかった)、深夜に寝られない母親に、10日の危ない状況の時と違って時間があったのでわしがゆっくりと今までの感謝の気持ちを伝えたら涙が2粒。
しかし昨年の秋には、孫がどれがどれだかわからない状態になっていたのだけれど、記憶が戻ったのだろうか。
正午から同窓会、帰省してから家と介護施設の往復だったのですこしは気分転換もいいだろう。だけどビール1杯飲んだら寝てしまいそう。ウーロン茶と甘味で乗り切るか。
米子20時前のフライトで東京に戻る予定。ゆっくり寝て、明日は1日中仕事、明後日夜か火曜朝(仕事の状況と体調次第)にまた田舎に戻る予定。
昨日は甥っ子(その2)が来たため、お付き合いで昼寝があまりできず。
せっかく遠方からやって来たというのに、母親は寝たまま。激しく起こすのも何だし、甥は30分ほどいて帰っていった。声がガラガラで、いったい何かと思ったら、昨日広島の新球場で声を張り上げすぎたとか。こらこら、いい年して全く。
わしは夜の8時過ぎに介護施設に行ったのだけれど、その頃からちょっと眠かった。
ただ、深夜になって、無呼吸がちょっときつくなり、気になって寝られず。
2時半のチェックで、血圧も100くらいあり、顔色も悪くなく、無呼吸もすこし和らいだので、わしも寝ることにする。
その後は全く記憶がない。寝るって気持ちいいよねー。
ときどき職員さんが、チェックと体の向きを変えるのと、オムツの交換に部屋にこられるのだけれどほとんど記憶がない(起きた記憶はあるんだけれど)。
母親のいる部屋で寝るのも4日目。まあ慣れました。そういえば1日も家で寝てないなあ。
姉が9時に来たのでそれで目が覚めた。6時間睡眠でちょっと体が軽くなった。
今日は特に昼の予定はなし。
昨晩は7時頃から、介護施設に。
午後9時頃に孫(わしの姪)夫婦が来訪して1時間ほどいた。
その頃は無呼吸も続いてちょっと苦しそう。
深夜1時頃眠そうにないので、子守唄代わりに、ずっと童謡と小学校唱歌を口ずさんでいたら、うっすら母親の目がうるみ気味。見ているときついなあ、これは。体が痛いからか、何か思い出しているのか、単にあくびをしたら涙がでてきただけなのか。
ただその効果か、2時半のチェックでは血圧も110近くになり、無呼吸も止まって苦痛はなさそうになった。歌ってすごく心を安らげるようです(偶然なんでしょうかね)。
母親がその後眠ったのでわしも寝る。
3時間ほど経ったところで、遠くから声がして起こされる。
職員の人が親切にコーヒーを持ってきてくださった。お心遣いはとてもありがたいですが、かなりの濃さで、、飲んだら眠れなくなって、、結局3時間睡眠で朝に。
それでも、ほとんど眠れなかった一昨日、昨日よりすこし体が軽い。やっぱり睡眠は大切だ。昼寝2時間を含めると5時間は睡眠時間確保。
今日は、名古屋の孫(わしの甥)が来訪予定。仕事で広島に行った帰りだそうですが、広島から松江までって相当距離がありますからありがたいことです。
しかし、山陰地方も晴れませんね。
一昨日は、相当ヤバイ状態でしたが、持ち直して血圧も100くらいまで上昇。
昨日は、お昼は昼寝、夕方から墓掃除、夜からまた介護施設へ行き朝まで側にいて徹夜。
血圧その他の数値は安定しているのですけれど、無呼吸の状態が時々続くので心配で全く寝られず。
朝、姉が迎えに来て姉宅で朝飯を食べて、先ほど自宅へ。
シャワーを浴びて、洗濯をして、その後少し昼寝予定(今その前)。午後は甥の車でお寺(車で片道40分近くかかる)へ連れて行ってもらって、お師匠さんと準備およびその後帰宅して墓参り。夜は介護施設にまた行く予定。
体力続くかな。
台風で飛行機は結局50分遅れ。
お盆休みの甥っ子に空港まで来てもらって、すぐ介護施設に直行。
無事生きている母親と会えました。お礼の言葉も言えました。一段落つきました。
もうギリギリの状況なので、管とかいっぱいつけられていると思ったら、延命をしない場合はなにもしないのですね。
ただ母親がベッドに横たわっているだけで、たまに職員の方が血圧等を測りに来るだけ。
すべて自然任せです。
時々無呼吸の状態が長引いたり、心臓が弱くなったり。でも医学的治療は一切しないので呼吸器をつけたり強心剤をうつこともありません。我々は声を掛けてゆするくらいしかできない。
自然に任せて最期に自然に戻るということでしょうが、心電図のピーピーというのをテレビドラマで見慣れていると、違和感というか新鮮な感覚というか、なにか見たことがないようなものを見ている感じです。
昔はみなこんな風に亡くなっていったのですね。
結局今朝は明け方5時まで起きていて、すこしうとうとして朝8時に目が覚めた。
午後に姉から血圧が下がっているとの連絡があり、明日の帰省が今日に変更。
今羽田空港なのですが、ほとんどの飛行機が台風の影響(だと思う)で遅れております。イライラしても始まらないのですが、イライラしますわなあ、はぁ。ボーディングブリッジには、飛行機の影すらなく。
ただいま待合室のパソコンデスクで書き込み中。
精神的にかなりきついです。 特に夜がきついです。なんで夜ってこんなに静かなんだろう、なんで夜ってこんなに暗いんだろう。
締め切りの近い仕事をひとつ片づけないといけないので、今日は徹夜するかも。でもそのくらいが気が紛れてちょうどいいのかもしれません。
酒井法子逮捕。たぶん今日のブログの題材としては、全ジャンルでダントツの一位なんだろうな。
芸能人(特にアイドル系)に詳しくないわしでさえ、名前知っているくらいなんだから。
しかし子供が小学生なんだよねえ。なんでかねえ。母親なんだからねえ。
父も母も覚せい剤の前科者(有罪なら)って、可哀想すぎるだろう。恋人は選べても親は選べんのだよ、ほんと。母親である自覚がしっかりあるなら、覚せい剤なんて絶対やらんだろうに。おまけに逃亡してから後に子供の声を聞きたいって虫がよすぎるわ。
前も書いたけれど、安部譲二の行った、「愛情ある親に育てられた子供は絶対やくざの大物にはなれない」ってのは真実だと思っている。
そういう親に育てられた人間は、「ギリギリのところで優しさがでてしまう、冷酷になれない」んだと。やくざにならない場合でも、大きな犯罪を犯さない、人の道は踏み外さないってことで解釈できる。
愛情というのは当然ながら、子供を大切にするってことだけれど、もちろん溺愛でもないし、その中には「見本、手本を示す」ってことも含まれているわけで、いくらのりピーが、子供のことを大切に思っていたとしても、子供に見本、手本を示さないという時点で、愛情ある親とはとうてい言えんわなあ。
まあ、わしは人の親になったことがないから他人の親に偉そうなことは言えないけれど。
☆☆☆
11日に帰省予定でしたが、明日か明後日か、帰るのが早くなるかもしれません。かなり厳しいみたいです。
楽しみだった同窓会もちょっと微妙かな。
今でこそ学校は鉄筋コンクリートで機械警備になり、学校の先生が休日や夜に学校にいるということはなくなりましたが、昔は日直とか宿直とかいう制度が普通にありました。
教員だった母親も宿直はしなかったものの日直にはよく行ってました。
で、その時わしはどうするかというと、100%母親についていった。父親と一緒に家にいてもしょうがないので。
小さい子供にとっては誰もいない学校はまさにワンダーランドで、何をして遊んでいたか覚えていないがとにかくいろいろとやって楽しかった、職員室はあまり騒げないですけれどね。木造校舎(特に音楽教室の)独特のにおいとかまだ頭の中に残っている。今も木造校舎をみると郷愁を感じるのはそのせいなんだろうか。こんな電話も現役であった学校もありました。
☆☆☆
この話は以前書いたと思うけれど、わしが卒業した小学校は親父が最後に勤務した学校ですが、すでにもう学校統合でなくなっている。わしが卒業した中学校は母親が最後に勤務した学校ですが、こちらもすでに学校統合でなくなっている。高校は現存するものの、卒業と同時にわしが学んだ校舎は移築で取り壊しされてるから今の校舎では思い出は戻ってこない。
母親が勤務した学校は、中学校はほぼ少子化による学校統合で全滅状態。昔あった場所に行っても跡形もない状態です。
それだけうちの親は田舎の学校をめぐった(島根県だって都市部の学校はそんなにめったやたらと学校統合しない)ということですが、時代とともにそんな思い出もどんどんと消えていくものなんですねえ。
そうそう、小学校5年生のとき、担任のK先生が病気で長期入院した後、臨時でやってきたY先生は朝寝坊なのか、われわれが登校する時間の頃に、洗面所で歯を磨いていた(笑)。今頃は宿直はないけれど仮にあったらPTA的に問題発生だったかもしれないなあ。しょーがねーなーってことで当時問題にもなりませんでしたが。
そんなY先生もそろそろ定年かな。早いなあー。
過去を振り返ってもきりがない。でも、宿直、日直って言葉、とても懐かしくて、、ふと思い出しました。親の日直楽しかったですよ。
先月行った台湾からの帰り、窓から変わった島が見えた。思わず撮ったのが下の写真です。
奄美や沖縄の島には詳しくないのですが、形状が面白くいったいなんて言う島なんだろうとちょっと気になっていた。
選挙が近いせいか、宣伝カーが走り回ることが多い。
今日も宣伝カーがやってきた。宣伝だけかと思ったら近所で演説までし始めた(苦笑)。
窓を閉めても、声が入ってくる。はぁ。
内容は月並みだけれど、末期がんの患者へのケア(週末ケア)の話とかずいぶんと力を入れてしていた。
なんでだろうな、と思ったらその立候補予定者のお父さん(元国会議員)は今年ガンで亡くなってたらしい。年齢は75歳。
がんは年齢が高ければ高いほど痛みは少ないと聞くけれど、最期は痛みに苦しんでいたそうな。やっぱ70代のがんは闘病が厳しいのかな。
がんというのは本当に怖い。しかも死因の一番にくる病気だし。
父親は80歳をだいぶ過ぎてから前立腺がんと言われた。しかし、前立腺がんは進行が遅く、特に高齢者の場合は、手術をしても意味がないということで結論としては放置した。自分ががんだと分かった時はパニック的な感じだったけれど、実際それからかれこれ6,7年はたっているけれど結局死ぬのはがんではないようだし、一度も痛みを訴えなかった(それほどに進行が遅い)。お医者さんも前立腺がんについては問題視していない。
母親もあちこち悪くて、70を過ぎてから甲状腺の切除とかいろいろやったし若いころは胃が痛いといつも悲鳴をあげていたけれど、胃潰瘍ががんにはならず。
がんになるのかならないのかなんていうのは全く運でしかないけれども、苦しみが少なくて済むという点ではがんで死なないことに感謝をする必要があるのかもしれない。
わしの祖父は、84歳でお宮参りをしている途中に心臓が痛くなり、そのまま旅立ったが、苦しんだ時間はたぶん10秒もあるかないか。
お葬式の時に、その死に方について、「あやかりたい」という人が多く、その当時はまだ子供だったので、その意味がよくわからなかったけれど、今はよくわかる。
さて、選挙、今年な夏が涼しいので戦いやすいのかもしれないけれど、どうなるんだろう。
親(特に母親の)調子が相当悪く、
今年中にお葬式を1つないし2つ出さないといけないかもしれません。
仕事をしている時はいいのですが、ちょっと落ち着いたり、トイレに入ったりシャワーを浴びたりしている途中で考え事をしていると少しへこんでしまいます。
こういうときは何かと忙しいほうがいいですよねえ、気が紛れます。あと、一人暮らしは誰もいないので話し相手に困ります。普段は別に話をしなくても何てことないのにねえ。
つうことで今後ブログが突然しばらくの間止まることがあるかもしれません。
父親が90母親が87、、、遅くにわしは生まれたので、、、何があってもおかしくはない年ではありますし、寿命だとあきらめないといけない年齢なんでしょうが、、、
いつかは近親者を送らないといけない、そして自分もいつかは送られないといけない。
東京の街中を歩けば、山のように人がいるのに、1人の例外もなく、誰もその法則からは逃れられない。人間の宿命なのですがいざとなると人間なんて弱いもんですなあ。
夕方から企業年金の打ち合わせ@人形町
人形町は、近いのにほとんど行ったことがないところだ。
日本橋に6年以上通勤していたのに全く行ったことがなかったし。
軽く飲みながらということで場所を探して歩いていたら、明治座まで200mなんて標識がある。あら、浜町の明治座は目と鼻の先か。明治座へ行く最寄駅は都営新宿線の浜町駅だけれど人形町からでもえらい近いやんか。
しかし東京という街はでかすぎる。この前は中野から渋谷までバスに乗ったけれど、全く見たことがない光景だった(当たり前)。中野の人からみたら、わしのよく乗る門33系統とか里22系統とかの都営バスなんて、海外でバスに乗っているような光景なんだろうな。
東京暮らしも長いので、さすがに23区全部行ったことはあるけれど、やっぱ山手線の円周の内側以外はよくわからん。人形町も微妙に山手線の円周の外だし。
あと15年したら引退して田舎にひきこもるつもりだけれど、最後まで東京という街がわからずじまいで終わりそうだ。というかでかすぎてどんな街か分からないほどなのが東京という街なのかもしれないけれど。
せっかく東京に出てきたんだから東京も少しずつ見て理解していかないとダメだな。
☆☆☆
甥っ子が尿酸値が高いらしい(苦笑)。
こらこら、つまらんところが祖父(わしの親父)に似て叔父に似てか。。。まあいいんだけれど、発作が出ると痛いので十分注意するように。
昨日の日記は日付ねつ造です。
というのは、昨日(土曜日)は名古屋で終日ビデオ撮り、その前の木曜日に「書籍の校正作業で急に忙しく」なり日曜日は先ほどまで1日中校正作業に没頭していたためブログが書けなかったのです。
先週月曜日に出版社から「原稿が送られてきた」。でも中身は原稿だけ。連絡事項も締め切りも何も書いていない。わしはてっきり2週間程度時間がある(普通はそうなので)と思ったけれど、やっぱ締切は気になるので、電話をしてみた。翌日も翌々日も。でも担当は不在(後で聞いたら出張だったとか)。つまり月火水と連絡が取れなかった。
木曜日に電話が来て、週末までにお願いをします・・・ってダメじゃん、分量が220ページもあるんだって(汗)。何とか締切を月曜日に延ばしてもらい、日曜日は全部校正の時間にあてたということです。あ、新幹線の行き帰りともに(アイスクリームを食べている時間を除いて)、座席の背のテーブルを出して校正作業。名古屋の宿でもせっせと校正作業(疲れててはかどらなかったけれど)。
なんでこんなに忙しい(のに金がない・・・苦笑)。
午後8時ころにやっと仕上がり、原稿をエクスパックに詰めチャリで郵便局の時間外窓口に持っていく。まずは一安心。
しかしなあ、一言(メールでもファックスでもいいけれど)、締切は○月○日でお願いしますって最初に言ってもらえんもんかね。特に急いでいる時は。
BBC(英国放送)のクラシックチャンネルを延々と流し続けながら作業をしてましたが、こんなときはインターネットラジオは便利ですよね。
それにしても、今日は涼しかったからすごく仕事ははかどったけれど、よく考えたら8月2日って1年で一番暑い時だし、気候不順が心配ですね。ちゃんと農作物は育ってくれるのでしょうか。
名古屋の地下鉄に乗っていてちと迷う。
地下鉄の駅の中に掲示されていた駅の周囲の拡大図と手元の地図がきちんと重ならないのでおかしいと思った。
よくよく見たら、地図のN(北)の方向が上で作ってない。
えー、これじゃ便利なように見えて不便だろう、と軽く突っ込みを入れたくなる。次に降りた駅で、地図を見てみたが(これは必要に迫られて、ではなくて好奇心から)、またN(北)の方角が上ではなくしかも前の駅とは違う方位で地図が作られていた。
名古屋はこれが基準なのかなあ(よくわからん)。
振り返って東京の地下鉄(東京メトロ、都営地下鉄)なんか構内ある地図はきちんと方位をきたにしていたんだっけ?とちょっと考えるけれど、さっぱり思い出せない。なれているせいもあるけれど普段いい加減な見方しかしていないからかなあ。
しかし名古屋の地下鉄の初乗り、200円はなんとかならんかなあ。東京メトロなら初乗り160円、次が190円だからなあ。
