2010年5月アーカイブ
つい15年前までは、エアコンのない生活だった。学生時代はエアコンなんて考えられないし、会社の独身寮もエアコンは食堂を除いてなかった。
だから夏は暑いものだと思っていた。
でも15年前に、引っ越しでアパート変わったら、「エアコンが作り付け」てあった。生まれて初めてのエアコンの生活。まあ、ついていればそれなりに使います。
で、4年半前に今いるところに引っ越してきたわけですが、エアコンはなかった。
エアコンありからエアコンなしに戻ったわけですが、若い頃からエアコンなしで生活していたしなきゃないでOKだし地球環境に優しくないってことで、エアコンは買わず今までがんばってきた、今後も買う予定はなかった。まあ酷暑の夏は梅雨明けから旧盆過ぎまでの時期水シャワーを1日に3回浴びてしのいだこともあったですが。
ところがここにきて挫折。
いや挫折したのは自分の心が折れたからではないです。言い訳っぽくなりますが。
ここのところうちに来客がポツポツあって、、、わしは基本的に事務所にお客さんが来ることを想定しておらず、大抵は駅前のコーヒー屋さんで話を聞いたりしていたのです。ところが、そういうざわついたところではなく、うちで話をしたいと言われたお客さんがでてきた。
その他、経理を頼んでいるAさんにも最近は毎月定期的にうちに来てもらっている。
そんなこんなで、わずかながらも来客増(ったってそんな多いわけではないけれど)、しかしまさか「うちはエアコンありません。真夏は来訪遠慮してください。もしくは、扇風機で我慢です」なんて言ってしれーっとしてるわけにもいかず。
思い切って買うことにしました。で、エアコン一式が到着したのが先週の金曜日。取り付け工事が今日でした。
午後2時過ぎ、取り付け業者の方が来られてサクサクと仕事開始、1時間ちょっとで取り付け完了。今日はエアコンを使うような天気ではありませんので試運転で終わりましたが。
これで夏は快適に過ごせるでしょうが、やっぱりその反動でまた外が暑くなる、わしの家の熱が外に排出されるわけです。昔水道検針していた頃は、真夏暑さの中で外を歩くので頭フラフラになりながら検針していたことを思うと、外気温を上げるエアコンはあんまり好きくない。室外機の前に水道メーターがあると(一軒家だと意外と多い)、気温35度の中でさらにエアコンの熱風にさらされながら仕事するわけです。外で仕事する人がんばって夏を乗り切って。
☆☆☆
エアコンをつけてから気になるのは冬の暖房の事。
最近のエアコンは凄く性能がいいらしいので、「電気代と暖かくなり方」が今使っている「ガス暖房のガス代と暖かくなり方」とどの程度の能力差とコストがあるのか、それによってはガス暖房が補助になるかもしれない。まあ今年の冬にならないとわからないわけですが。
つうことで皆さま夏の来訪歓迎です。キヨシさん、夏に「こけし」で遊び過ぎて終電逃したら泊りに来てください。
あ、以前クソ暑い8月に泊まりに来た甥っ子には悪いことしたなあ(汗)。
「第2次牛丼値下げ戦争が勃発。牛丼チェーン「すき家」を展開する大手のゼンショーと「松屋」を展開する松屋フーズは、ともに6月1日から期間限定の牛丼値下げを実施する。価格はともに250円で、業界最安値となり、今年4月の牛丼最安値競争の再来となりそうだ。」
一体何がしたいんですかねえ?確かに日本は成長がずっととまったままで物価もここ10年ほどほとんど動かないという状態ですが、それでもちょっと異常ですよね。
どうみても250円じゃ元が取れないと思うんですけれど。期間限定だけれどその間赤字でいいってことでしょうか、それは織り込み済み?その間に客を増やし、セールが終わって値段が元に戻った後も吉野家などの客を奪ったままにしたいという戦略なのかなあ、お店としての知名度は十分あるから開店セールとかとは違うんでしょう。
しかし、、、、これじゃ、普通に日本社会を壊しているだけな気がしますけれどね。
500円ー600円くらいの昼定食で良心的に細々やっている町のおばちゃんの定食屋はみな潰れてしまう。最近は普通のお店(個人経営の)ラーメン屋にいっても、食堂にいっても、「高いなー」と感じます。生活を考えたらギリギリなんだろうけれどそれでも、大量仕入れとアルバイトで経費を徹底的に切り詰めたチェーン店と比較すると高くなる。
そういえば、ここに引っ越す4年半前までいた所の近所の中華料理店はちょと前に通りがかったら潰れていました(苦笑)。何があったのか知らないけれど、そういうチェーン店の影響なかったんだろうか。
競争を是認する資本主義社会だから競争に敗れた店は潰れることは仕方が無いのかもしれないけれど、細々と自営で生きていくってことができなくなってきた世の中なのか。昔はどこかのお店で修行して一人前になったら一生それで料理人として食っていけるはずだったのが、料理より前に綿密なソロバン計算をやらなきゃいけない時代ですね。
しかしこれだけでかいチェーンの牛丼屋でも、従業員のほとんどがバイトで、正社員は店長以上のわずかの人間だけってことになると。。。、規模や売上の割に、その会社で賄う(要するにそこで働いて食っていく)人数が少ないわけで、世の中的社会貢献的にはあまり嬉しくない気もしますが。
あ、宮崎支援のため、宮崎産牛肉の牛丼があったら少々値段高くても積極的に食います。口蹄疫の肉は使っていないと思いますし、万が一でも感染牛の肉でも人間には罹患しないそうですから。そんなに牛肉は普段食べない人ですが、こういう時はできることをしないとね。
ああ、宮崎の問題で牛肉の消費量が落ちるという危惧もあるのか、、、そこも難しい問題だ。
父親の49日および母親の一周忌(ちょっと早めですが)の法事が7月11日に正式に決まったので、航空券の手配。
近所のJTBでJALの最後の株主優待券を使いました。もう株主優待券貰えないんですねー。
基本的にANA派(マイレージもANA)なので、JALはそう沢山使うこともなかったですけれど、最後だと思うと買っていて少ししんみりします。
今まではANAが6枚(わし名義が4枚+親父名義が2枚)、JALが2枚(親父名義) の計8枚(半年毎に交付だったので年間8往復分)あったのですが、JALが無くなり、ANAも親父名義の株が相続でわし名義になると5枚に(4000株以上は2000株で1枚なので)減ります。これからは年5往復分になっちゃう。
もう去年、一昨年のように、2カ月に1回田舎に帰るようなことはなく、たぶん墓参帰省は年に2,3回ですからそれで十分といえば十分なんですけれどね。
世の中が変わって、株主優待券利用より安いチケットがどんどん出回っていますが、やっぱり「予定変更が利く」という利点は捨てがたい。
今回も、労働社会保険の締め切りが7月10日なので(法事でなきゃ絶対こんな時に予定は入れない)、直前に予定が変わることも十分考えられ、飛行機を変更できないのにすればもっと安いチケットがあるのですがやっぱり株主優待利用にしました。
わしのANAのマイレージはネットでチェックしたら36000マイルほど貯まっていましたが、JALは3000マイルほど(苦笑)、ANAはANAカード(クレジットカード)なので買い物をしたらマイルがたまるけれどJALはほんと搭乗した分だけのマイルだし、どんどん失効するからなー。
しかし、父親、タイミングが良すぎますわ。JALと一緒に逝ってしまうなんて(苦笑・・・正確にはJALは逝ってませんが)。
☆☆☆
JAL株は250円で3000株買っていたので購入額は75万円。これがマルマルの損失です。これが20年30年と超長期保有していたら「ずっと株主優待を使わせてもらって元取った」とあきらめもつくんでしょうが、「そろそろ年齢的に年2回の帰省じゃヤバイな」と思って5年ほど前に親父をけしかけて買わせた株なので、その意味では、まだまだ元をとっていなかったのかもしれないですね。
証券会社から3カ月毎に評価とか報告を送ってくるのですが、ガクっと保有資産額(もともとがそんなにたくさん株もっているわけではないので)が減って、なんだかねー、みるとちょっとがっくりしますね。
田舎の医師不足は深刻みたいですね。
ほんとわしのように田舎に生まれ育った人は大変な問題だと感じます。
叔父が肺炎になった時、近所の病院じゃダメで、もっと大きい病院にいったらそれもダメで、救急車でさらに大きい病院に運ばれましたが、車で1時間はかかるところ・・・、叔母の通院とかとても大変そうでした。
ちょっと前にニュースを読んでいたけれど、「若い医師に田舎の病院で経験を積ませるようにしないとダメだ」という意見がありましたが、これが厳しい。
自治医大という大学があります。
僻地の医師を養成するために、都道府県が出資した大学なんですが、ここを卒業しても、僻地に勤務せず2200万円払えば、OKになる。僻地勤務を強制することができません。医師の免許があると2000万円くらいは借りれることはできるし、都会でも医師が不足している病院は病院が立て替えたりするそうですね。
防衛医大も、自衛隊につとめず医師免許を取ってさっさと自衛隊を退職することもできる。こちらは給与まで学生のうちに出ているので、最高で5000万円くらい返す必要がるそうですが。
☆☆☆
すっかり学生の頃からごぶさたなんで、憲法のことを書くのはちょっと恥ずかしいけれど、日本国憲法には
今日は病院。
病院が5月から少し離れたところに移転したため、バイクの置き場がないかもしれない等勝手がわからず、用心のためチャリで向かう。チャリでも行けない距離じゃない。どのくらいあるのかなと、後でグーグルマップで経路検索してみると3.5kmだった。いい運動になるけれど次からもチャリで行く元気があるかどうか。
で、病院に着く前にとんでもないことに気がついた。
「財布忘れた・・・・」 がーん。
ただ途中で何かを買ったとかいうことはないし、チャリで転んだということもないし、一切財布を出していないから落とすことは考えられず、間違いなく家に置き忘れてきた様子。
クレジットカードなら持っている、財布と一緒にしていないので。確かここはクレジット支払いができたはずだが、、とちょっと不安になりながらも病院に行き、エスカレーターで上にあがって、受付で保険証と予約カードを出すと同時に支払いが可能か聞いてみると、「あ、大丈夫ですよ、カードでお支払いできます」と受付のお姉さんの優しい声。
いやー助かった。家に財布を取りに帰るなんてことになったら大幅に予約時間に遅れてしまう(大汗)、急患を除いて予約制なので、診てもらえなかもしれなかった。
ただ薬は現金払いなので帰りがけに立ち寄って買うというのができず、一旦帰宅して夕方から近所の調剤薬局に出向いて処方してもらった。まあこっちは予約制じゃないですからねえ。
血液検査は2カ月に1回ペースなので、毎回朝を抜かなくてもよいのだが、検査の月も検査結果を危機に行く月も、朝食を食べないようにしている。「検査の日に間違えて朝食食って行ったらしゃれにならん」ですからね、病院に行く=飯は食わないという条件付けをパブロフの犬のように自分に叩きこませている。用心のためです。
つうことで、今日は前回の結果を危聞きに行くだけ。思いのほか早く済み(予約制だけれど時間がかかる時はかかる)病院を出たのが午前10時半頃。まだまだ松屋の朝食を食える時間なので、朝昼兼用で松屋のソーセージエッグ朝定食をがっつりくう。
その後チャリを漕いで帰宅。
夕方から勉強会。その後懇親会、普段は懇親会には出ませんが、カナダ在住のFさんがいらしたので参加。
こちらは絶対財布を忘れないようにしっかり確認して(笑)。ただまた直前にどたばたして遅刻してしまった(汗)。
昨日は夕方から打ち合わせ。
NPOの作る小冊子について。
コピーライターの田中さんもご出席。
いやーこの方、某大手新聞に文章を書いたりすごい人なんです。で家族構成も凄い。
夫は元FBI 、でこんな本も出されている。当然わしも購入していますが。続版も出るらしい。なかなか面白いので一度興味ある方はお読みください。夫がFBIな人ってそう沢山はいないというか皆無に近いかもしれませんもんね。
で、原案を作ったスタッフのKさん(この人も本のプロ)、といろいろと打ち合わせているのですが、側から見ていてなかなかにすごい。これがプロの仕事なんだなあというような密度の濃さ。
わしみたいにいつもマニアックでマーケットの小さい年金モノの本を作っている(大半が監修だけれど)のと、一般向けに売れる(読んでもらえる)書籍とはずいぶんと違うんだなあとしみじみ。
打ち合わせが終わってから総会開催。総会が終わってから理事のみなさんと懇親会。理事長熱く今後の事を語られました。応援しまっせ、ずっと。
夜遅くに帰宅。疲れた。
なんだか5月は普段の3倍くらい(葬儀もあったので)、酒飲んでいる気がする。
先日亡くなった父親だけれど、結構若い頃は貧乏したらしい。他人は革靴なのに自分はゴム長とかいう話も聞いた。
でも、不思議だった。
祖父は、漁師だけれどそこそこの腕利きで、昔仏壇に飾ってあった海上保安庁からの感謝状とかには、船長祖父その他4名なんて書いてあったので、4人も部下の乗組員がいた漁船を操っていたのは間違いない。大きくはないがオーナー漁師ってやつですね。
父親が教員になりたてのころは、「お前の給料くらいは一晩で稼げる」とか祖父にきつく言われ給与の安さを批判されたこともあったらしい。
というこで、しっかり祖父が稼いでいるのに家が貧乏になるのが不思議でしょうがなかった。
で、亡くなった母親に昔聞いたところ、「あれは父親の母親(わしの祖母、でも生まれた時はすでにいなかった)がお金に関してザルだったから」なんだそうな。
相当に金銭感覚がなかったらしい。だから祖父が金は稼いでもいつも家に金がない状態。一体何に使ってたんだ。
で、父親は、学生時代は生活資金を仕送りしてもらうのではなく、親戚の家に「借金を取り立てて、その返してもらったお金を使って生活する」ということをしていたそうな。貧乏といいつつも親戚に金を貸しているというのがまたよくわからん。
貧乏ならば人に金を貸すではなく金を借りるだろうし、金持ちならそんな取り立てことをさせずに普通に仕送ればいいだけの話だし・・・なんだか金があるのかないのかよくわからん家庭だ。父親は本当に取り立てが嫌だったらしいが、借金の取り立てはだれもいやな仕事だしそれを10代のうちからやらされるわけだから、これについては深く同情する。
祖父がいつも、「勤め人なんか金が稼げないから漁師をやれ」とか教員になったあともずいぶんといわれたくらいだから、祖父は正直息子が進学し学校に行くことには反対だったんだと思う。義務教育が終わればすぐに船に乗ればいいくらいの感じだったんだと思う。ところが、そのザルの祖母はその辺の考え方は当時の田舎の人の平均値とは変わっていて、「漁師はもう駄目。それより学問をやって身を立てるほうが」という考え方だったらしい。
お金についてはザルで苦労したんだろうけれど、その点については父親も感謝しなきゃいかんだろうなあ。今でこそ大学進学率は半分くらいなのですが、父親が学生だった頃の昔は旧制中学(今の高校相当)に行くだけでも全体の2割を切る程度、凄いことなんですね。父親の母がなにを想って漁師になることを反対したのか知らないが、母親の後押しがあればこそ、さらに師範学校に行って教員になれたわけで、それで運よく兵役に就くこともなく(当時は現役教員は戦地に行くことは一番最後のグループだった、たぶん殆どの教師が戦場に入っていないと思う)、同年代の人が戦地で命を落とすなか危険な目にあうこともなく、最近まで生きていくことができた。もし母親(わしの祖母)がそのまま祖父の意見を全部通してしまうようなタイプの人なら、当然義務教育が終わったらそれで船に乗り、父親も漁師をしていた可能性が高いわけで・・・。
ゴム長を履いて借金を取りに行ったことと教員になれたこと。
もう亡くなって聞くこともできないけれど、父親は自分の母親(わしの祖母)に対して一体どういう評価をしていたのだろうか。わしが考えても非常に評価に悩む。
まさか、父親のお葬式があるとは思ってもいませんでしたので、昨日はラグビーの試合のチケットをちょっと前に前売りで買っていました。
早めに買うと、Tシャツが貰えて自由席は2000円という超お得なチケット。
2011年のラグビーワールドカップに出場できるかどうかの大一番です。とはいえ実力差があるので勝つんだろうなあとは思っていましたが。
電車を乗り継いで秩父宮ラグビー場にお昼の12時過ぎに到着。前座で、日本女子代表と香港女子代表の試合をやっていました。
孫はおじいちゃん、おばあちゃんがいれば、遊びに行く。 甥っ子や姪っ子も小さい時は親の所によく遊びに来た。
でも、成人してしまえば、祖父祖母はそんなに近い関係でもない。今回は幸いにも土曜日が葬儀だったし、母親の時もちょうど学校が夏休みの時期だったので、孫は全員そろったが、これは偶然。
名古屋から来た甥が、「次はいつ来るのかなあ、20年後かなあ」なんて言っていたが、まあそうなってもおかしくない、もっと来ないかもしれない。祖父祖母がいない田舎になんか誰もやってこないよ。次は叔父さんの葬儀か(笑)、叔父さんの葬儀なんか関係が薄いから運悪く忙しかったら来ないだろうなあ。
わしも母親の実家に墓参を兼ねてもう一度ご挨拶に行こうと思っていますが、本当にこれが最後になる可能性が高い。
人間は生きていて、時間が経るにつれてどんどん人間関係を変えていく。父親や母親を中心とした人間関係は亡くなった時点からだんだんと過去のものになっていく。寂しいけれど仕方がない。大金持ちになるか国会議員にでもなるかすれば、またそんな過去になった親戚から何かアプローチがあるかもしれませんが(笑)。
民法で、親族間の近さを数えるのに、親等ということばを使いますが、これはほんとよくできているなあと感じます。
親ー子は1親等。兄弟は、本人ー親ー兄弟で、線でつなぐと2つーが入り2親等になる。甥姪なら、本人ー親ー兄弟ー兄弟の子 線でつないでーが3つ入るから3親等。必ず共通の祖先である親に戻り数えます。
兄弟も、子供のころは一つ屋根の下にいて、毎日喧嘩して、親子以上に仲良しのように見えるけれど、大人になって独立したら自分の世界を持ち、急速にその距離が遠ざかっていく。親子よりは絶対に関係が薄い、、、1親等と2親等で関係の濃さは半分になるくらいだから数字の表し方で妥当なんだろうな。
親は、まさか自分の子供が自分が死んだあとに兄弟同士で喧嘩するなんてことは思わない。
親からみたら、長男も長女も二男もみな 親ー子 という1親等の関係だから、本人が身代わりになれるくらい可愛くて近い存在。子供から見た親もそうだ。でも、兄弟は上の通り2親等でかなりドライになる。しかも配偶者という「全く血の繋がってない利害でモノを見る可能性の高い応援団」が後ろに控えている。
冷静に考えて、一歩間違えば、相続やその他家のことで喧嘩になるのは必然。でも親はみんな可愛子供たちだから仲良くやってくれると信じている。というか期待している。
だから、なかなか遺言を書くのをためらうんだろうなあ。冷静にモノが見えないのは親からみて子供の視点だけでしかモノを見ず、兄弟同士の距離の視点がないからなのですね。周囲を見れば兄弟仲の悪い家庭なんていっぱいいるのに。
父のお葬式は午後4時からでした。
葬儀の前に服を着替え、和尚さんを待っているだけの状態。みんなが座布団(畳部屋だったので)に乗ってガヤガヤと雑談している。
携帯が鳴ったのでチラリと見たら、メールが入っている。
確認しようとしたところで、和尚さんがいらした。あわてて電源を切る。葬儀中に携帯が鳴ったらしゃれにならん。
で、葬儀が終わってしばらくして、そういえばメールが入っていたな、まだ見てないやと思いだして起動させようと思ったら、なんと、「電源が入らない」。
ええええ、何かの操作ミスでバッテリーが急速に使われた電池切れかなあと思って充電させようとしたら、充電もちゃんとできない。
携帯を落としたとか水没させたとかならわかる、いや葬儀中はポケット入れていただけだし。なにもしないで電源切っていきなり壊れるか? しかも使い始めてから8カ月の携帯だし。
いろいろとやってみてもダメだった。
仕方がないから翌日16日(日)に近くのドコモショップへ行く。
対応に出たお姉さん、ちょっといじって「ダメですねこれ・・・、まだお使いになられてから8カ月なので本体を交換させていただきます」
その場で本体の交換。うーん、わしはすっかり「修理」かと思っていて、東京で普段使っている携帯を松江で修理に出すのがどうなのか悩んだんだけれど、全然問題ないわけか。
撮った写真はSIMカードだからそのまま移し替えで新しい携帯へ移る。電話帳、住所録等はグーグルフォンなので携帯を起動させた時点で向こうから自動的にデータが入って電話帳を作ってくれる、住所録を古い携帯から移すなんて作業は一昔前のものだ。
ただアプリは困った。
新しい携帯にしてから普段使う(使っていた)アプリは全部入れ直し。乗換検索とか、ニュース閲覧アプリとか、エバーノートとか、普段重宝しているもの。とりあえず必要性の高いアプリを入れる作業もすぐに行う。なんでこんなどたばた時に壊れるかねえと溜息。
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思い出話になるけれど、父親と母親は携帯を持たなかったが、今はなきアステルのPHSをしばらく契約したことがある。
古い家を売り払って、マンションに移った時にとりあえずで買ったもの。
でも、父親は何とか使いこなしたが母親はだめだった。今まで長い間、普通の固定電話だったので電話を切る=受話器を置く ということで頭の回路が働く。ご存じのように携帯やPHSは電話を置くのではなく、上の右側の「電話を切る」ボタンを押す。それがなかなかできなかった。
結局、高い金を払って電話加入権(今は死語)を買い固定電話をつけたのだけれど、高齢になってから電化製品を使うことを学ぶのは大変なんだなあと思った。母親は昔から数学が好きで(わしとは違う)、若い頃は機械モノの取り扱いも普通の主婦よりはこなしていたんだけれどなあ。
若い人の中に、ネットや携帯を使いこなせない人を「情報弱者」と言って軽蔑する人がいる。つまらない質問をすると「そんなもんはググレ」とかすぐに言う。いや同年代の人の中の話であればそうなんだけれど、中高年はそういう軽いくくり方での差別はだめだと思うぞ、そもそもが最新の通信機器を使いこなすのは中高年には大変な作業だ。今携帯を使いこなしている若者だって50年すれば間違いなく情報弱者の仲間入りするんだし、そういう人にやさしい社会を作って行かないといかん。これもお年寄りに優しい社会のひとつだと思うんだけれど。
☆☆☆
まあそんな話はおいておいて、
葬儀の前に電話を切って葬儀の後に壊れているというのは、偶然なんだけれど余りにもできすぎな気がする。
浄土系の仏教では、死んだら即成仏するので、亡くなった父親が云々とかいうホラー的な話は全く信じないけれど、げすな言葉で言うと「携帯が父親の後追いをした感じ」、まあ確率的には凄い確率なんだろうなあ、、、、
携帯電話って早くに壊れたら本体交換だってのは今回初めて知った。しかも、最初は「本体交換だけです」って話だったが(それは当然だろうな)、何も言わないのに、「電池も新しいのにしときます」と、電池も新しいのにしてくれた。ドコモショップのお姉さんありがとう。
今回も、家族葬ということで、葬儀は母親の時と同じく、子供、孫、ひ孫、およびその配偶者のみで行いました。
和尚さんは前に書いたように、家族葬には否定的で、そんな話をチラチラとされました。社会的な葬儀の意味を考えると確かにそうなのかもしれません。もちろん家族が最も近い存在ですが、それ以外に仕事関係、友人関係とか、沢山の縁で人間は生かされているので、一般的にはその考え方のほうが正しいと思います。
でもねえ、母親の時は「ここまで連絡しろ」という明確な指示がありましたし、今回の父親はそんな細かい指示はなかったですが、「質素にやれ」と書いていますし、自分たちもそれがいいと思いましたし。
それに、うちは親兄弟孫までの仲はいいんですが、それからちょっと遠い親戚との微妙な関係があったことも家族葬にこだわった原因の一つです。
子供一同、某親戚が父親の入っていた介護施設に行って、父親に「飼い殺しだ」といったことはいまだに忘れず猛反発していますので(言った本人はもうとっくの昔に忘れているんだろうな)、、、どんだけ子供が悩んで施設に入れたと思っているんだってことです。
だから、遺言がなかったとしても親戚を呼べたかどうか疑問です。逆に遺言があったので「故人の遺志で」と逃げることができて筋立てもすっきりしほっとしています(親に感謝)。
和尚さんにはこの辺の途中経過や経緯が全くお分かりになられないので、「何か内にこもった隠すような葬儀」に感じられたのかもしれません。その辺は仕方がないことなんでしょうが。
しかし、5年前にずっと住んでいた家を売り払って松江市内に移り住んでいなかったら、昔いたところは超田舎で家族葬と一般的な葬儀との区別なんかできるわけもなく、頼まなくてもご近所がお手伝いに来たりしますから、普通に葬儀をしないといけなかったかと思います。いやほんと家を整理売却していてよかった。
祖父が亡くなった時の香典帳。昔の人(といっても自分の親世代だけれど)はマメですよね。
派手なのが好きだった父親は本音は「質素にやれ」というのは違ったのかもしれません。がまあ自分で書いたことだから仕方がない。
上の写真は祖父が亡くなった時の香典帳で、いろいろと整理したときに出てきましたが、数えてみたら香典が364通。世の中の葬儀の香典の数の平均値がどの程度なのか知りませんが、当時父親は学校の校長をしていましたし、社会的にはピークに近い時期でしたから多めだと思います。当時母親が「過労で倒れそうだ」と言っていましたが、まあそうだろうなあ。
香典返しだけでも、半端ない数ですし、これに生花とか別途モノが送り届けられたりしていたのですから。
で、ほんとうにこんな大福帳みたいなのをつくって、どこからいくら送られたというのを整理して(場所別に)全部書いているのですから、我が親ながら大したものだと思います。わしには絶対出来ん。つうか、最近は普通にエクセルに入れますからねえ(苦笑)。
今回は当然ながら香典等を受け付けませんので、ゼロ。とはいえ事情が呑み込めずに持ってこられた方がいらしたのですが、、父親は少し寂しがっているかもしれません。
祖父(親父の親父)は、わしが中学生の頃に亡くなりましたが、本当にポックリでした(昔書いたと思う)。
朝起きて、日課のお宮参り、、その途中の石段で心臓が痛くなり、、あいたたたた、、。
本当に苦しんだのは1分もなかったでしょう。年齢も明治生まれで80歳を超えており(83だか84だか)もう充分生きただろうという齢で、周囲の人がうらやむ綺麗で苦痛の少ない亡くなり方でした。
母親もオムツを替えたりというような介護を全くすることもなく、この点は感謝していました。
亡くなった朝(祖父の散歩だからとても早いので)わしはまだ寝ていたのですが母親に「おじいさんが亡くなった」と起こされ、あわててみな現場に駆けつけましたが、亡くなってクビのガクガクする祖父が背負われて(だれが背負ったかは覚えていない)いた後を追って家まで帰ったのを鮮明に覚えています。
今回の父親も、午前中に調子が悪くなりそれからあれよあれよで亡くなったので、事態が急変してから本当に短かった。でも2年前に倒れてから寝たきりだった所から考えるとずいぶんと長くかかったのかもしれませんが。
いずれにせよ、痛みに苦しんで苦しんで、痛み止めを打ってというような場面は全くなく、そういう意味では恵まれていたのか、わしも小心者なので「痛いのは嫌だなあ」とぼんやりと思います。
祖父がそんな感じで、また去年の母親もターミナルケアに入りながらも最後は突然で、すぐ近くにいた姉も間に合わず、今回も姉は午前には病院にいたのだけれど、亡くなる時はそばに居られず。わしは東京だからある程度は覚悟していたけれど、間近の姉さえ死に目に立ち会えなかったのですが、これは運命としか言いようがない。
テレビドラマのように、みんなが見ている中で心臓の鼓動がだんだん弱まって止まっていく、というような光景にはまったく無縁でした。
これから誰かが危ないからといってすぐに病院に行くこともないだろうし、わしはだれかの死に立ち会うということと一生無縁で過ごすのかもしれないですね。怖いけれど一度は体験しなければならなかったことのような気がします。暖かい体がだんだん冷たくなっていくというのは生と死を考える上でもとても重要な体験らしいのですが。
やっと16日の日曜日になって、落ち着く。
とはいえ、一緒に寝ていた名古屋の甥が帰るということで、早起きさせられ。姪も最後に仏壇を拝みに来た。甥は車、姪は電車で戻るとのこと。
平日ならばいろいろと仕事をするところだが日曜日だし、疲れもあるので少しのんびり。
お昼に中央郵便局に校正原稿を持っていき「ゆうパック」で送付。これで明日着くだろう。ほっと一息。あとはダラダラと午後を過ごして疲労回復。
葬儀の費用等今回の出費をパソコンに打ち込み、父親の遺品等整理などなどいろいろとあります。
17日、月曜日
朝買い物、お菓子とコーヒーを買い、入院していた病院の先生と看護師さんにご挨拶。M医院、わし高校の時下宿していたのですがその下宿からほど近いところにあり、当時「あそこはヤブだなんだ」と悪口言っていたのですが(全くのデマです、すいません、運動部の奴が怪我して通っていたりしたもんで)、まさか最後に父親がお世話になるとは・・・、まあ先生の年齢からしてわしはお世話になることはないでしょうが。
病院から出る時、もうここに来ることもないんだなあとしんみり。去年の母親の介護の時に介護施設を最後にお礼に訪れた時もそう思いました。
その後、裁判所に行って書類を貰い(相続放棄の書類+成年後見の終了(補助類型)手続きのことを聞き、次に市役所。市役所で、介護保険、身体障害者手帳(耳が悪くて2級障害だった)、後期高齢者医療保険等の保険証の返却、戸籍の取得、結構面倒だけれど終わらせ。
庁舎内で、中学校の時の同級生の市役所職員ヒサシにバッタリ会う。
「おぅ、どげしちょーら!(おう、どうしてる)」
って、同窓会で今年の正月で会ったばかりだし、5月の半ばにうろうろと市役所で東京住まいのわしが歩いていたら「普通じゃない」のはわかるよな(笑)。
しばらく立ち話。
わしは親がだいぶ高齢でわしを産んだので介護は少し早目に来たのかもしれませんが、我々年代は、「親の介護、親の死」に直面する年齢なんですよねー。
その後、S新聞を訪れ、死亡広告のお願い。
いやね、新聞広告なんか出したくなかったけれど、親父の遺言に「S新聞に広告出せ」って書いてあったから(苦笑)。で、時期は49日が終わって全部が綺麗になってからと思っていたのですが、肝心の和尚さんがお寺で「oke家のセンセイ(親父は長く教員をしていたのでそう呼ばれる)がお亡くなりになられて・・・」とかお話されたらしく・・・(汗)、事態が急変。
ずるずるしていると、何か問い合わせがあるかもとあわてて掲載することになりました。
S新聞を出たあと、年金事務所で書類を貰い、D証券で相続書類を貰い。。。夕方帰宅。いや疲れた。
17日最終便で帰宅する予定でしたが、ちょっとその元気がなく・・明日の9時の便に変更。
日が長くなっているので、午後6時半ころでしたが、チャリを漕いで母親の墓参り。姉の所で夕食をいただいて、ほぼ行事は終了。
49日の法要は7月だからまた松江に戻らんといかんなあ。8月は初の盆、こちらも当然帰省せないかんし。
明けて15日は葬儀、、いやしかし、、一昨夜徹夜+昨夜睡眠時間3時間ほど なので、ポンと押されると寝てしまいそうな感じ。
とはいえイベントがあるんだから、寝てるわけにはいかない。
火葬場の都合と、和尚さんの都合で、午前に火葬、午後に葬儀となってたのです。
火葬場の予約が10時、、セレモニーホールから近いので少し前に霊柩車に乗り、火葬場へ。
亡くなる時も辛いし通夜の時も葬儀の時も辛いけれど、焼く時というのはかなり辛いですね、形が無くなっちゃうんだもん。亡くなる時の次に辛いかもしれない。
仏教は基本的に焼く、イスラムとキリスト教は焼かないというのがわしの基本認識なんですが、キリスト教も最近は焼くのが主流なんですね(知らなかった)。特に日本は墓地が(公園墓地や公営墓地等)狭いので土葬は厳しいのだろうな。
一応喪主なので、「扉を閉めるスイッチ」と「窯の点火スイッチ」を押させられる。去年の母親の時もやったけれど、「あんまりいいもんじゃない」ですよね。もうやりたくない(って次はないか・・・笑)。
焼いている間に、みなで軽く食事。お昼前にお骨になり、骨拾い。
その後、車で再度セレモニーホールに戻る。ね、ね、眠い。
葬儀は午後4時からということなので、3時間ほど時間があり本来なら、「昼寝、昼寝、ひたすら昼寝」、ということなのだか、眠いのにあまり寝られなかった。
和尚さんをまたお迎えして(ほんとこの距離の35kmはなんとかならんかね)、午後4時前から葬儀、続いて初七日の法要。
姉いわく「割と読経量の少ない和尚さん(わし的には大歓迎だが)」らしいので葬儀と初七日の法事はスムーズに済む。
その後和尚さんをお送りし(ほんといろいろとありがとう甥っ子と姪っ子の夫のみなさん)、セレモニーホールの使わせていただいた部屋でゴミを片付け撤収、車で自宅へ。
祭壇に骨を置いたりしたあと、市内某所のお店に、、葬儀に参加したみなさんでお食事。
みなさんといっても、子供、孫、ひ孫、および その配偶者 だけです。
親戚は全く呼ばず(遺言の通り)、これについては和尚さんから苦言を呈された(葬儀は社会的なものでありみんなで送るものだと)、家族葬は和尚さんはお嫌いらしい。
でもねえ、大々的に葬儀をすると、仲のよくない親戚まで呼ばないといけないしなあ、そっちのほうがわしにとってはかなりのストレスだ。姉も同意見だが、、どういう風に葬儀をするかは難しい。うちは前の母親が厳密に遺言で「この人には知らせて、それからは知らせるな」という指示があったので楽だった。父親のほうは、「簡素にしろ」としか書いてなかったので、母親に準じて。
つうことで、2時間ほどみなさんで飲食。
酒も少々入ったが、例の「校正が終わるまであと一息」だったもので、家に戻って眠い目と酔った頭で最後の校正。
で、終わったと同時にバタン。朝まで記憶なし。
5月13日
仕事(年金相談)で相模原某所へ。
お客さんがとても少なくヒマをもてあまし気味、普段なら仕事中なので絶対に取らない電話ですが、午前10時頃、姉からの着信がちょうどお客さんが全くいない時に鳴ったので、電話を取る。
「今日明日ということはないと思うが、ちょっとお父さんの容態が悪い」
父親は2年前に、硬膜下出血+水頭症で、全く動けなくなり食事も取れず病院に入院していたので、もういつ何があってもおかしくないなとはその時から思っていたのですが、いやこれは、、、早々に帰郷した方がいいのかな、まあそれでも午前中だったもんで、午後の仕事も済ませてから考えようかと思っていたところ、
午後にまた電話、ちょうど相談中だったけれどとっさに「何かあったか」と、失礼して電話を取ると、「父親が亡くなった」とのこと。それから10分くらいは何をしゃべっているか分からない状態でした(ゴメンナサイ)。
夜はヨガの日でしたが当然ながらそちらはパスして、帰郷の準備。
最終の飛行機は19:55分だけど、羽田に行く時間を考えると18時30分には家を出ないといけない。で逆算すると、あれこれと連絡したりお願いしたりすることが多くて、、、ちょっと間に合あいそうにない。
翌日のアサイチ7時10分の飛行機に乗ることにしたのですが、結局その日は徹夜(いろとあったもんで)になりました。19:55の飛行機なんて最初から無理だったじゃん。
翌朝4時49分亀戸始発のJR(始発から人たくさんなんだねえ、都会はすごい)、お茶の水、代々木乗換で渋谷駅へ。渋谷で撮影機材をコインロッカーに入れ(撮影機材は16日撮影に行く予定だったのだけれど代わってもらうということで、今は鍵形式じゃなくて暗証番号で開くコインロッカーが増えたので暗証番号を知っている他人が荷物を出すことができるので、荷物の受け渡しに利用ができるのです。
渋谷5時40分頃の電車にのり、羽田空港へ。
羽田空港から無事飛行機に乗る。完全徹夜なのだけれどあまり眠くならない。
米子空港に8時半につき、松江行きの連絡バスに乗り換え、9時20分頃に松江駅に到着。
ここでやっと携帯で電話して和尚さんと連絡が取れる。よかった。
実は、昨日電話しても全然つながらなくて。。。。正直大焦りだったんですわ。寺は島根ですが和尚さんの普通にお住まいの場所は京都、で、今はお寺の仕事の関係で一時的にですが北海道のほうにいらっしゃる。もし今札幌でかつ何か重要な予定があるなら、すぐにでも代替の人をお願いしないといけないし、ちょっとヤバかったのです。
いやいや通夜や葬儀に「お坊さんなし」じゃしゃれにならん。
駅からタクシーで、遺体のあるセレモニーホールへ。ここで父親とやっと対面。安らかな寝顔でした。ここ2年、鼻腔栄養で本当に生きているだけでも大変だったのだろうと思う。お疲れさまでした。
和尚さんは偶然に、こちらに帰っていらしたので、通夜も葬儀も時間を調整すれば大丈夫の様子。時間の確認だけして、まずその日は通夜で午後5時頃に来てもらう手筈をたて、そのた段取等細かいことを決める。
セレモニーホールからお寺まで35kmほどあるんで(苦笑)、甥っ子に頼んで車を出してもらい和尚さんを迎えに行く。午後5時前から通夜。
通夜が終わって、姪っ子の夫(義理の甥)に和尚さんを送ってもらうように頼み、ほっと一息。流石に帰りはご一緒しない。
校正の仕事を1つ抱えて帰っていたので、お通夜の遺体の横でせっせと作業。終わったのが午前4時、、前日徹夜で、本日朝4時まで起きてがんばった。体大丈夫かなあ。しかし校正作業というのは「代替が利かない仕事の一つ」なので無理してやるしかなかった。まあ通夜は寝ないもんだし。
今日の午前中の飛行機で、帰京しました。
飛行機の中から、父親が生まれて育った港が綺麗に見えました(わしも小学校2年ー中学3年までいたところですが)。神様が好天をプレゼントなさったのかもしれません。
いろいろとありましたが、通夜と葬儀は滞りなく終了しました。
お悔みメールをいただいた皆様、大変ありがとうございました。ほんと感謝しております。
みなさん親を亡くすと感じられることかもしれませんが、何かこうつっかえ棒が取れたような・・・、地に足がついていない感じがまだします。そのうち時間が解決してくれるのかもしれませんが。
メールをいただいた皆様には書きましたが、親の葬儀を出すと、順番でいくと次は自分ですよね。ほんとひしひしそう思います。もう少し有意義な人生を送らないといけないです。
今日のお昼に父親が亡くなったとのことで、お葬式その他明日の午前帰省します。
GWに帰ったばっかりなんですけれどね。これだけは仕方がない。
ということで、当分更新できないと思います。
舘ひろしが禁煙かあ。しかし昔は1日100本吸っていたって、、1日5箱かよっ。やっぱお金があるんだなあ、普通の人は煙草代だけで続かなかったか。
普段から仕事で世話になっているOさんも、仕事の合間にモクタイムということでたばこを吸いに行く人でしたが、この前聞いたら「禁煙した」ってことで、、うーん、旅行のお土産はタバコにしようと思っていたのですがね。
そういえば、キヨシさんも禁煙しましたね。
ここのところ禁煙する人が増えているのは誠に喜ばしいこと。あとは続けてください。
とはいえわしは、学生の頃「煙もうもうの雀荘に朝までいたり」したこともあるくらいで、ヒステリックに「世の中からタバコを全面追放」とは叫びません。ルールとマナーを守ってもらえれば、他人の健康のことですからどうのこうのいう筋合いはないですし。
昔の会社にいたころ、隣の課の先輩が出張でインドネシアに行かれ、帰宅した時のお土産にタバコを貰って呆然。「OKEさん吸うよね!」ってわしは、遊びでも吸ったことがないんだが・・・どこでそんな誤解が刷りこまれたのか、人間の記憶なんてあいまいなもんだ。
インドネシアのタバコは吸わなくても独特の甘い匂いがしたのですが、すぐにだれかにあげたと記憶している。
☆☆☆
タバコは習慣性があり、なかなかやめづらいということですが、うちの親父は、半年吸って、すぐにやめて、、3年くらいたって、また半年ぐらい吸ってを繰り返していた。
親父にとっては禁煙って全然苦痛じゃないみたいだった。止めようと思うといとも簡単にその日からやめられた。タバコが止められずに苦しんだというのを見たことがない。
近所のドケチおじさん(親父の同級生、、もう亡くなった)は、タバコが欠かせない人だった。ドケチなのになんでタバコを吸うのかと思うと、軍隊にいた頃、慰問袋の中にタバコが入っていてそのおじさんがタバコを吸わない人と知ると、同期の兵隊さんが、「それをくれ」とか沢山やってきたそうな。
で、基本ケチなので「他人にやるくらいなら自分で吸うわ」ってことで吸い始めたらしい。戦争が終わってもタバコは止められず、そのままずるずると死ぬまで。ケチなおじさんはケチが故に、一生タバコと付き合わなければならくなかったわけで、、、。あのおじさんに一生タバコを吸わせるほどに禁断性があるんだなあ。
暖かくなって、だんだんと冷たい飲み物が欲しくなります。
最近嵌っているのが、伊藤園の韃靼そば茶、これは美味い。緑茶、烏龍茶、よりこっちを選ぶ。あとほうじ茶も美味いです。血管にもいいらしいけれど、そういう健康のことは抜きにしてもいい。
ただ、コンビニによってはないところもあるし、この前は行きつけのスーパーで売り切れていた。うーん、ある時にちょっとまとめ買いしといたほうがいいんだろうかな。
☆☆☆
近所のスーパーで、「ウズラ串ウインナー」なるものを買う。レジで、「これは串カツですかね」とお姉さんに聞かれる。
いや違うけれど、、、
そういえば、前も「ウズラ串ウインナー」を買ったら、同じように串カツでレジを打たれた。
ウインナーを小さく切って、チビ太のおでんのように、串にウズラ、ウインナー、ウズラ、ウインナーとさして揚げてあるので、確かに外見は串カツそっくり。値段が同じなので、こっちもあえて何も言わないんですけれどね(値段が違っていたら面倒だな)。
しかし、自分でとって袋に詰める方式の惣菜をよくスーパーの店員さんは処理しますよね。串カツとウズラ串ウインナーは値段が同じだけれど、串カツも小さい50円のと普通の100円のがあったりしますし、微妙に唐揚げと竜田揚げの値段が違っていたり。
セルフレジ方式のお店をちょっと前に使った時も、値段ラベルの付いていない果物やこういう自分で取る方式の惣菜おかず類の処理に困ったことがある。
1個200円のリンゴと1個100円の夏ミカンがあった場合、サイズが似ていたら全部夏ミカンでレジ打ち込んだら通るのだろうか、疑問だ。まあそんなにたくさん経験しているわけじゃないので、わかりませんが。
谷亮子が国会に出馬だって・・・
いやね、芸能人やスポーツ選手が国会に出るのは時々あれど、彼女は「現役で柔道続けながら」らしいのでひっくり返った。
そんなアルバイト感覚でできるものなのかね? 国会議員って。
なんだか日本の将来を考えると悲しくなってきたな。別にスポーツ選手が議員になってもいいと思うけれど、もうロンドン五輪はあきらめて(というか完全に現役引退して)、議員としての仕事を全うしないとダメだろう。将来のある小さな子どもたちのことを想うと特にそう思う。
議員になる前の勉強とか(政治とか経済とか)してるのかなあ。子育てまでやって忙しくてそれどころじゃないと思うんだけれど。当選したらスポーツ振興とかそんな話だけしかできないなら嫌だぞ、、、だって子供手当とか普天間基地とかそんな重要な案件が一杯あるじゃないですか。
人気者なので、大量得票が見込まれるらしいけれど、、、なんだかなー。
☆☆☆
14時からワールドカップの代表発表。
ネットはつながらず、あれれとおもって、テレビをつけたらテレビ朝日で中継していた。うーん、巷の噂通り「予選通過」ではなく、「何点取られて負けるか」が焦点になるのかもしれない。
日本だから応援はしますが、、やっぱ岡田さんじゃ力不足じゃなかったのかなあ。
音楽にしてもスポーツにしても、実際にはプレイヤーが演奏や試合をするのですが、それを束ねる指揮者とか監督とかでずいぶん変わってきますもんね。
土曜日に名古屋で収録、終わって食事をして乗った新幹線は午後8時20分。
車内でいつものようにアイスを食べて予習をして、東京についたのが夜の10時前。
いつもながらのスジャータ。
これは名古屋へ行く時の抹茶、帰りはバニラ。
それから、、、今日の予習をしたのだが、中に間違いがあったので、、、差し替えのレジュメを作りあーだーこーだとやっていたら、もう深夜。本当最近チェック体制がグダグダだなあ。
終わったら朝の5時。
やべー、このまま寝たら絶対起きれない。 ということで完全徹夜となりました。
朝8時20分に家を出て、代々木の会場へ。
わしが話すことはたいしたことがなくてしかも30分ほどなんだけれどねえ(苦笑)。
午後4時に終わり、心配して(?)いた懇親会も参加者不足で流れ、、、
午後6時に家につき(途中で早めの夕食をとった)、まだ体がシャキっとしないので、タイマッサージ1時間(飲み会に行ったと思って)、体がずいぶん軽くなりましたが同時に眠気も襲って来て、、、
おやすみなさーい (午後11時前就寝)。
一昨日、ガスの使用量のお知らせがドアポストに入っていましたが、見てびっくり。
なんですとー、、昨年の2.5倍(汗)。
4月も半ばくらいまでは、コートがいる天気で暖房フル回転(うちはガス暖房)だったからなあ。多いとは思っていたがさすがにここまでとは想像できんかった。例年ならば4月は暖房を入れない日が多いんだけれど。
まあ使ったんだから払うしかない。
☆☆☆
今日、名古屋から帰って家で風呂場に入って、汗。
やっばー、水がちょろちょろと流れている。きちんと水栓が止まっていなかったらしい。はぁ。泊まりで外出の時、ガスは割と神経質にチェックするけれど、風呂場の水はなあ(苦笑)。
いつも水道料金は基本料金なんだけれど、今回は「どーーーーん」と請求が来たりして。いやしゃれにならんですよ。
貧乏人は公共料金もきちんと無駄なく節約しないといけないのだけれど、わしの中で全然守られていないなあ。
あ、そうそう関係ないけれど、帰りの新幹線でもしっかりアイスいただきました。公共料金だけでなく体重も絶賛増加中か(笑)
9時20分東京発の新幹線(大阪行きのぞみ最終)に乗って移動中です。お昼の普通ののぞみは東京名古屋が1時間42分なのですが、これは1時間36分、、なんでか知らないけれど速いんですね。
車内すげーおやぢ率(もちろんわしも入っているがスーツのおやぢだらけなのでジーンズはちょっと異質か)です。9割は男性。
で、その男性は何をしているかというと、ビールや酒のんでいる人多し、後はノートパソコン立ち上げて(わしもそうか)仕事しているか。酒飲んでいる人は、金曜日でやっと仕事終わって的なほっと感出まくり。あとは新幹線で(大阪か京都か名古屋か知らないが)家に帰るだけですもんね、たいていの人は明日休みなんだろうな。
なんかみんな生活がんばってるんですよねえ、ほんと一週間お疲れ様でした。あ、GWだから2日間お疲れ様か。
まあそんな車内観察はいいのですが、アイスクリームの販売早く来い!(こっちはとても気になっている(笑)、まさか最終だからないなんてことはないよねー)。
って書いてたら、やってきた・・ と車内販売の声が聞こえてからまだしばらく来ない、おつまみ系がかなり売れている様子、1つ後ろの人は2700円酒分とおつまみお買い上げ、、1つ前の人はウィスキーとおつまみお買い上げ、儲かるなあ夜の車内販売。昼なら売れ筋の単価の低いコーヒー売れてなさそう。
めでたくアイスクリームゲット(^^)
通路を隔てて反対のおじさんは、さっきまで酒飲んでたけれど爆睡モードに入った模様。
☆☆☆
朝からいそがしくてきつきつ。
電話もかかってきて、、はぁ。チャリこぎながら電話応対。
普段は、そういう危ないことなんかしたらダメとか偉そうなことを言っているのだが、やっぱ自分がそうなっちゃいかんね。
普段は家でシャワーなわしですが、たまに気分転換に銭湯に行きます。そのことは前に書いたと思います。
特に12月冬至のゆず湯と5月の菖蒲湯の時は行きたくなります。
ということで、昨日(5月5日)は久しぶりに銭湯に行きました。いやー、普段と違って湯船に菖蒲、、、なかなかに風情があります。特に銭湯の湯船はデカイので雰囲気は格別。
で、ゆったりと湯船に浸かって、ぼんやりと洗い場を眺めていると、何やらかなり日焼けした人がいる。またこりゃ春なのに気合いが入ってるなあ、沖縄に足しげく通っているような人かサーファーかなあとかすんだ目(眼鏡は湯船では掛けないので)でぼんやりみてて、ふと顔を注視すると、、あれー違う、インド人だ。。。
いや、あなたどこの国の人ですか? なんて聞けないわけですから、インド人といっても、ネパール人なのかバングラデシュ人なのか、スリランカ人なのかわかりませんが、そういう系統の国の人にはたぶん間違いない人なのです。
うーん、菖蒲湯にインド人か、、、なかなかdeepな光景だ。
GWに実家に帰って、昔通ったことの歯医者さん(通学路にあった)が改築のため取り壊されているのを見て、「あー、また景色が変わってしまうんだなあ、高校生の頃の面影が無くなる(松江市内に住んでいたのは高校の3年間だけなので、あとは郡部のド田舎)んだなあ」とちとしんみり。
そんな景色の変わり方を想っていたら、そういえば下宿をしていた家はどうなったんだろうなあ、とふと思うところがあって散歩がてら夕方チャリにのって出かけてみました。
下宿のおばさんは既に亡くなられているというのは風の便りに聞いていたのですが、
今日から普段の生活に戻りました。
個人的にはGWはもうおしまい。それこそあっという間でしたが少し体調が戻ったかもしれません。やっぱり故郷はいいですねえ、心が落ち着きます。あとは、いつになったら(老後の資金をためて)帰れるだろうかということ・・・これだけはわからん。
もうすぐ母の日ですが、個人的には複雑な気持ちで、何か嫌な日になっちゃいましたね。みなさん親は大切にしっかり親孝行をしてあげてください。
☆☆☆
「2日付の英日曜紙サンデー・タイムズは、猫、犬はもとより、オウムや魚に至るまで、ヒトと同じように手足や目に「右利き」と「左利き」があることが判明したとし、これは生存競争にも有利に働いていると報じた。
同紙によると、研究者たちはこれまで、左利き、右利きがあるのはヒトに限定されていると考えていたが、最近ではほとんどすべての生物が左右どちらかを主に使うよう進化したことが分かったという。
魚の場合、自分の敵となる魚や動物が接近してきた場合、右利きの目をもつ魚は時計と同じ右回りに逃げ、左利きの魚は左回りに逃げる。左右差があった方が素早く反応でき、生存の確率が高まる。
また、英クイーンズ大学(北アイルランド・ベルファスト)の研究によれば、性別で違いもあることも分かった。猫の場合、雌猫は瓶などから食べ物を引き出そうとする際、右手(右前脚)を使う傾向があるのに、雄猫は左手を使おうとする。犬の場合も同様に当てはまるという。」
ふーん、人間以外の生きものも、生きもの故にそういうことがあってもおかしくはないが、実際にあるという報道がされるとまさにふーんと思っちゃう。
やっぱり人間以外の動物もクビの所で神経が交差していて、右脳ー左手、左足、左脳ー右手、右足という風な指揮系統なんだろうか、魚は(全く根拠がないが)違うような気もするし、興味津々。
わしは右利きですが、父親が左利きのせいもあって、わずかに遺伝している様子。ほぼ右利きなんですが、トランプのカードは右で持って左でとったり出したり・・・、時々ふと「あれっ」と思うことがあります。
高校1年の時の、体育の授業でバスケットのシュートの練習で、右利きでのステップの他に左利きのステップでのシュートなんてのを先生がやらせてみな四苦八苦なのにわしはすんなりできたり、、、
遺伝なんで、少しだけ遺伝するなんて事はないと思うのですが、不思議だなあ。
午前中、父親のいる病院にいって散髪。年3回の行事なれど、頭に管、鼻にチューブを入れた人の髪を切るのはなかなかに骨が折れる。風呂に入っていないので頭をさわると脂でベトベト。
髪を切る作業は姉の独断場なのでわしはアシスタントに徹する。もう2年近くも寝たきりになっているので関節が固くなって、動かすのが大変。なんだかなあ、ため息が出る。
鼻のチューブを自分で取らないように、腕はベッドにくくりつけてあるのですが、それを嫌だからと取り外そうとするのが原因なのかその他のことが原因なのか腕は、内出血だらけで痛々しい。ここもなんだかなあでため息。
自分の親のことだから、自分も将来はこういう風になってしまうのかなあと思うとちょっとしんみりする。痛くない死を迎えたいものなのですがどうなるんだろう。父親のように娘があれこれと世話をしてくれるわけでもないですしね。
☆☆☆
お昼に姉の家に移動し、お昼をいただいて(焼きそばライスってもろ関西風じゃ)、お茶を飲んですこしゆっくり。午後2時15分に家を出て、車で空港まで送ってもらう。
しかし、、、さすがGW、、車が渋滞している。人がまばらな山陰地方、めったにないことだが(汗)。
2時50分過ぎに空港着、3時半のフライトなのですぐにチェックイン。
待合室でさほど待つこともなく搭乗が開始され、そそくさと飛行機に乗り機上の人となる。次に帰るのはお盆だから3ヶ月後か。ちょっとだけさようなら、わが故郷。
飛行機は定刻にプッシュバック、田舎空港なので混雑もなくすぐに飛び立つ。
新聞が廃止され、飲み物が有料になり、ヘッドホンは頼まないと昔のように座席には置いていない。ほんとにLLC(格安エアライン)のようになってしまったな、ANA(しんみり)。とはいえJALの株主優待がJALが経営破たんした影響で貰えなくなった今、それでもいいから潰れてくれるな、頼むから。安いチケットあるにはあるが、変更が利かないわ直前には買えないわで、やっぱ株主優待券利用のチケットにはかなわない。
富士山はいつ見てもきれいだけれど、今日はすごくいい感じのアングルで飛行機の翼がかかっていた。
飛行機は定刻に羽田空港に着陸。いつものように遠い遠い67番ゲート(くらいだったな)、空港の出口まで600メートル歩くといういつもの「羽田空港のシベリア極東地域w」。いやいやマジ遠いんですけれど。ほんとお年寄り連れで田舎から東京に来られる方は、到着ゲートを聞いて第二ターミナルの67-70とかだったら遠慮なく電動カート(身体障害者とか高齢者とか送迎してもらえる)頼みましょう、しゃれにならん。
昔乗ったことがあるが、今日の飛行機は久しぶりに「普通のANA」の塗装ではなくて、スターアライアンスの塗装のB737だったので降りた後記念に1枚。ブログを書いていなかったら絶対撮ってないだろう写真だ。
飛行機は6分ほど早く羽田に到着、しかし西風が相変わらず強かったのかな。機長さんのアナウンスはなし、、ん、俺が聞き逃しただけか? いや違うぞ。
荷物をピックアップし、モノレールで浜松町ー秋葉原ー亀戸のJRコースで帰宅、帰宅時間は午後6時。
いやあ、ほんと距離にして700km以上をドアツードアで4時間切るんだもんなあ、ほんと早いわ。
さてと、帰宅したら普通の生活に戻ります。宿題山積みなのでがんばらなきゃ。
わしは、基本的に試験勉強は外でします。
図書館があれば図書館へ、図書館がない時はファミレスでしたりします。
ファミレスは意外と勉強がはかどります。集中すると周囲のざわつきが消えてくる。ざわざわとうるさいのが気になるのは集中していない証拠。
で、図書館で勉強するというのは普通みな知っていることですが、わしは知らなかった。
というか田舎の田舎で育ったので中学を卒業するまで、「図書館で勉強する」なんてことは思いもよらなかった。
高校に入って、県庁裏の県立図書館で勉強ができるというのは初めて知った。でも、その県庁の食堂が使えるというのをしったのはもっと後だった。職員専用の施設だと思っていたもんなあ。
2年生の時同じクラスになったF原が、県立図書館にいったら県庁食堂で飯を食うという技を教えてくれた。
ということで、県立図書館に行ったら、お昼は県庁で飯を食うというのが定番となった。当時ずいぶんとお世話になりました。ただ、お役所の食堂なので、休日は休みで、日曜日は使えない(当時は週休二日ではなかったので土曜日はやっていたかどうかちょっと記憶にない)、記憶にあるほどには使ってなかったのかもしれないけれど。
一昨日30日、銀行と市役所の往復の間に県庁の前を通ったので、ついつい懐かしくなって(しかも平日だったので)、県庁食堂に行って、昼飯をとりました。メニューは昔よく食べたカツカレー 450円也。
カツは合成肉なのか、メンチみたいな感じの肉、、昔もそうだったのかなあ。カレーも専門店のカレーに比べたらそれなりです。でも、サラダもついて450円なのでそんなもんかな。
おいしいかどうかといわれるとまあ値段相応というしかないですが、懐かしく頂きました。
なんせ高校3年生の時以来なんですから(いったい何年ぶりだ?)。
高校の同窓会のHPに、高校の学食で飯を食うツアーを実施したいという希望がでていましたが、なんか物事の一つ一つに懐かしさを感じる年齢になってきましたね。大学の学食にも行きたくなってきたぞー、大学の学食の思い出食は特にないが、サイダー1本50円はずいぶんと飲んだ気がする。
今日は本当に休養日。
朝起きて、飯を食って午前中寝て、昼起きて、飯を食って午後寝て、夕方起きて墓参り。たぶん最も贅沢な時間を過ごしたのかもしれない。
毎日が日曜日、、わしは憧れますが。 ただし金があればですが(苦笑)。でも太るのは間違いない。
今日午前、病院への支払いがあるので父親のいる病院に行くと姉が言っていたのでその車に便乗する予定だったのですが、午前こなかったのでそのまま寝てた(笑)。
まあなんですね、こんなに弛緩すると明日からの日常生活が怖い。仕事が貯まっているので弛緩する暇はないと思いますが。
墓参りは夕方もう6時になろうかという時間に出かけましたが、まだまだ明るい。もう5月だもんなあ。
西風が強く、線香に火をつけるのがとても大変だった。
