2011年1月アーカイブ
人気急上昇中のサッカー日本代表のザッケローニさんはすごくまじめで誠実な人らしい。いわゆるチャラけた所が全くない。
で、日本人のイタリア人のイメージというと、どこかチャラけたところがある感じなんですよね。時々テレビでお目にするジローラモなんか典型例。アルマーニのスーツ着て、お姉ちゃんを口説いているような感じ。
ジローラモはナポリ出身。しかしイタリア北部(ミラノとかトリノとか)の人は南部(ローマ含む)の人を馬鹿にしてるらしいです、やっぱ北部の人はあのチャラけたキャラが嫌いなのか。経済的にも南北格差は歴然としていて、北の方が豊かですから馬鹿にする要素はありますしね。
でイタリア人のイメージ=ジローラモに関して、「アホの坂田=大阪人の典型例」 なんて思ったら大違いでしょう。って誰かが突っ込んでいたのがあって少し笑った。そうだなあ、ジローラモはイタリア版 「大阪人以外の人がイメージする大阪人=アホの坂田」なんだろうなあ。
しかしイタリア、経済的にはいつもあーだこーだ言われながらみんな人生楽しんでるよな。
なんで連中は1カ月夏休みをとって、日本人は取れないんだ。それで日本人が豊かな生活をしているかといえば、??だしねえ。
☆☆☆
やっと原稿が完成、ほっと一息。
しかし連絡してみると、先方の都合で原稿の渡しが都合で2日(水)になった(大汗)。うーん、ここのところ(というかここ2,3日だけれど)朝5時まで仕事(でも起きるのが8時すぎでそれだったらさっさと早めに寝ろよって話だけれど)してたからきついわ。まあ曲りなりにも出来上がったのでほっと一息。しかしデキのほうは・・・どうだろう、呆れて次の仕事が来ないかもしれないかも。
とある会社、報酬を請求しているのに振り込んでこない、、、そろそろ電話しようかなと思っていたら、お詫びの電話があった。
とある会社、役所に出す書類が作成できないので資料をお願いしていたら(昨年)、1ヵ月半もたってやってきた。いまからやらんといかん。あー面倒くせ。
別件で書籍の校正 二月半ばまで。プラス 来年からの年金改正の資料作り。
あああ、とある会社の1年変形の労働時間の23年度分も作らんといかん、こっちも資料作って連絡しとかなきゃ。
あれ、おかしいな、予定では2月に入ったら「ヒマ」になるはずだったんだけどなー、何か変だな。
やれやれ全然仕事が進まない。
モノを書くという仕事は、エンジンがかかると早いんだけれど、かからないとほんの数行で泊まったりして進まなくなる。とはいえ1月中の仕事ってことだと明日が一杯だしやばいな。
☆☆☆
エジプト大変なことになってきましたね。
アラブ人ってのはおもしろい(わし的に)人たちで、「強い人」にあこがれるんですね。少々乱暴でもOK。典型的な肉食系男子民族なんでしょう。
むかしチュニジアを旅した時、学生に「サダム・フセインは素晴らしい」という話を夜行列車の中で延々と聞かされうんざりしたことがありましたが、ああいう独裁者も、強い男という点ではあこがれの対象で(しかも適当に貧者に施しを与える、イスラム教的教えが反映しているのは間違いないでしょう)、拒絶反応が日本人よりないようです。というか日本人は強い指導者が出てもすぐあることないこと報道して足を引きずって、ただ善人なだけが取り柄の小物が指導者になってしまったりするからなあ、こっちはこっちで問題がある。
で、アラブ中東にはリビアのカダフィ、シリアのアサド ほんと独裁者といわれる人が中東アラブ世界ではたくさん政権を握ってますね。そうでないところは、「王族とか首長」とかいう特権的な人たちが政権を握ってる。
今回のエジプトの件も、たぶん 「ムバラクとは違う新たな独裁的な政権(親米親欧政権)が誕生して終わる。」「ホメイニのイラン革命のようなイスラム主義的政権が誕生して終わる。」「変わらず鎮圧される」というところで、「きちんと選挙をして民主的政権を樹立し欧米的な民主国家に変わる」という予測をだれもしていないのにちょっと笑いました。
まあわしも西欧的民主化は無理だと思いますが。わしの頭の中でもアラブと民主政治ってあわんしなあ(苦笑)。
それにしてもエジプト、、、考古学博物館まで暴徒が入ってきたらしいですね。ミイラなんか盗んでもしょうがないけれど、金銀財宝は別ですよねえ。
ツタンカーメン王のマスク、、、大丈夫だろうか? わしがエジプトに見に行く前に盗まれたら悲しいものがある。
あ、雑談のほうは何となくすらすらと文章が書ける(何を書いてもいいからか)、こんな感じで仕事もGoできたらいいね。
1日中仕事、夜からサッカー、で終わった寝る。
翌日朝に、日付捏造でこの文章書いてますが、なんかグタグダだなあ。
☆☆☆
1週間前に寝違えた首、痛みは和らいだのですが、朝起きるとちとやはり痛い。1週間前は1日中痛かったけれど最近は午前中だけなので快方には向かっているんだけれど、朝がつらい。
寝方が悪いのかなあ。
首の軽いヘルニアですというのは以前病院で指摘されたこと。で、この前お仕事先の先生(医師)に話を聞くと、「みんな40過ぎたらヘルニアになるんですよ。大なり小なりね。」 ということで、人間齢を重ねるというのはそういうことなのですね。
車と同じく長く使っていれば体にガタが来る。
しかし、どういう寝方が一番首にいいんだろうね。枕も安い枕は使ってないはずだし。
そういえば別の話だけれど、普段ならなんでもない動きをしたときに、脚がつりそうになったこともあるな。
どこまでが加齢によるものなのかわからないですけれど、やっぱ微妙にガタが来ているのは間違いないみたいだ。とはいえ、替えのボディが手に入るわけでもなく、今あるボディをだましだまし使っていくしか無いわけです。
アジアカップみながら思ったですけれど、サッカー選手なんかケガのオンパレードですよね、あれ年をとってきたらかなり蓄積してて体に来るんじゃないですかね。ここのところ寒さが厳しいですから古傷がズキズキしている元名選手も多そうだ。
あああ、尻に火がついた。
1月末までの原稿、、、全然はかどってねえ。明日から3日缶詰で頑張りますができるかなあ。
ブログは、、、息抜きで書きますが、ちょっとだけ。
割とわしは、「書く速度」が早い人らしいので大丈夫かなあ(自分で言ってどうする)って思ったりしますが、書く速度の前に「ネタを吟味する作業」があるしなあ。
原稿書きは「薄利多売」「長時間労働低賃金」です。激安の原稿だと、時給が1000円切ってたりしたことあるし(苦笑)。わしは吉野家のバイトか、って深夜バイトだとわしより高いかもしれないな、賃金。
☆☆☆
北アフリカチュニジア動乱。ついでにエジプトにも飛び火。
チュニジア、、、良い国なんですけれどねえ、昔旅して楽しかった。
砂漠もあって、地中海の景色もあって、人間が面白くて、モロッコよりえげつなくなくて。。。
アルジェリアのように動乱続きでなかなか行けなくなったら辛いものがある。隣のリビアがそろそろ観光ブレイクしそうなのに(もうしたのかな)。
旅は行けるときにいかないといつ観光客が締め出されるかわかりません。ソ連のアフガン侵攻前はアフガンでバーミヤンの遺跡にいったなんて日本人観光客がいたわけですが今は皆無ですしね。
わしは、アラブ好きなので(結構面白いので)ほんといけなくなると辛いですわ。
昔、コーランのテープ買ってきて聞いてたなあ(笑)。今はyoutubeで聞けますが、なんかこう旅心をそそられますねえ。
カンボジア土産「アンコールクッキー」
今日、某寄り合いに持参して食しました。一応現地でもこれに限らずお店にある食品いろいろと試食したんですが改めて。
味は薄味の普通のクッキーなんですが、包装が凄いですね。
外箱 + アルミ袋 + 個別ビニール包装。たぶん現地的感覚では「かなりの過剰包装」なんだと思います。
個別包装ってのは本当に、「日本人向けのお土産」として良く考えてあるなと思います。会社とかで配るのにちょうど良いですもんね。しかも、アンコールワットの形してるしアンコールワットって名前が入っているし。いわゆる「義理土産」を意識した商品としては非の打ち所がありません。このへんの眼の付け所は鋭いかもしれない。
アンコールクッキー
しかしまあ、お値段はそれなりで、これ1枚が「カンボジアの庶民の家族1日の生活費くらい」らしくて複雑な気がするなあ。とはいえわしに何かできるわけはないし。と、ちらりと思いながらもありがたく頂きました。
☆☆☆
ここのところサッカーで寝不足気味です。
いや試合が終わるのは1時でも2時でもそのくらいの時刻はいつでも起きているのでOKですが、試合を観るのに緊張して集中してアドレナリンが出るせいか、寝付けなくなる。だから3時とか4時とかになる。就寝が。ザッケローニ監督もそうみたいだけれど。
しかし昨日の試合の前半戦は目を疑うような見事な連動性のある攻撃でしたねえ。後半途中から延長戦はグダグダでしたが。
活躍で代表人気も盛り返し、3月の国立競技場のチケットはすでに売り切れた由。まずは関係者は一安心?
サッカーとラグビーの試合は足しげく観に行きたいけれど、その前にまずは貯金貯金旅行貯金、そっちが大切。旅に出るためには喜んで節約しまっせ。余裕ができたらサッカー観に行こうかな。チケット、交通費、グッズ とか考えるとあっという間に1回観戦に行くと1万円くらい使っちゃうこともあるもんな。
昔、高校の先輩でかつ大学の先輩でもあるKさん(医学部なので学校名は同じでもデキが違う)を見習わなきゃ。昔節約しすぎて医学部なのに栄養失調で倒れたって話をされてましたけどね。いやいや旅というのは魔力があってそうまでしても行きたい物なんですよね。人によっては「なぜそこまで」と思うかもしれませんが。
今年はお正月をカンボジアで迎えたわけですが、ほんと「退廃的」でしたねえ。
以前にも何回か書いたことがあるのですがネタが重なってもいいや。ほんと昔の(父親が生きていた頃の)お正月は、「ものすごいピンとした空気」が張り詰めていたものです。
12月25日まで学校で26日から冬休みでしたかね?
冬休みに入っても行事が山のようにあった。 まず裏山に行って適当なサイズの竹を切ってくるわけです。
竹を切ったのを、地区の集会所に運んで、「のぼり旗を飾る竹組」を作るわけです。うーんとうまく表現できんなあ。
えっとこういやつ。のぼり旗を竹組してるやつね(掲載の写真は竹じゃないけど)。結構全部手作りで手間暇かかりました。で、わしは生まれついての不器用なのであまり戦力にならなかったけど(苦笑)。
それと同時に、家の手伝いをするわけです。窓ガラス磨き、掃除その他いろいろ。あとしめ縄飾りもかなり面倒でしたので、その手伝いもさせられる。しめ縄の中央にスルメ、みかん、干し柿を付けて、糸で縛って固定するとかいろいろ。あ、しめ縄といえば玄関だけと思ったらダメです、玄関、神棚、床の間その他各所にしめ縄。特に神棚のしめ縄は丁寧につくる。
同時並行で母親は全部手作りでおせちを作ってるわけです。当然餅もつくる(機械ですが、当たり前だけれどお手伝いする)。スカスカおせちが話題になりましたが、うちでおせちを外で買ってきたことがなかったなあ。お雑煮等に使うためダシを取るのも大変そう。お正月用に一升瓶に何本もダシを作っていました。てことでこちらも年末は大戦争。
集会所に行き、家の手伝いをし、子供ながらに結構忙しい年の瀬になるんですね。
大晦日までには、お神輿用ののぼり旗立ても完成し、家でもおせちやらしめ縄やらいろいろなものも準備が整う。
でやっと、みなで年越しそばを食べて、紅白歌合戦。
紅白が終わる11時45分頃父親の興奮は極度に達する。ぐずぐずしていると「怒鳴られる」。
父親は正装し、懐中電灯(もっと小さいころはちょうちんだった)を持って、家族で初詣に。
とにかく12時キッカリにお参りに行かないといけないらしい。(わしは実は新年直前11時58分ころに参ったこともよくあるのではないかと今でも思っている)。
参拝中は私語はなるべく慎む。必要最低限の会話しかしない。
テレビの初詣の風景みていると本当に羨ましい。みんなちゃらちゃらとお参りしてるんだもんなあ。おみくじ引いたり破魔矢を買ったりするのは「初詣中は厳禁」(かどうかしらないけれどやったことがないというかやる雰囲気じゃない)。
初詣で拝む社の数は、本殿1 + 末社10 の11社。 コースがきっちり決まっていて毎年全く同じ順序でお参りする。お金(賽銭)は持たない。持っていくのは「お神酒」と「米と昆布とスルメを細かく刻んだ物」それを拝殿の手すりに乘せてお神酒を掛けてから拝む。
歩けば10分もしない神社だけど1時間くらいかけて初詣をして帰宅して就寝。
あ、初詣は元旦だけじゃないです。3日も叩き起されて同じルート(ただしこちらはお寺も入る)で初詣。父親はたぶん2日も行ってたと思いますよ。お正月3が日は毎日神社参りなんですね。
☆☆☆
元旦の朝はみなで雑煮を食べるので、寝ていても強制的に起こされる。
でお屠蘇を頂いて雑煮を食って。わしは寝不足なのでだいたいまた寝てしまうわけですが。
午後になっておでかけ。どこに行くかというと、年末作っておいた例の竹組みにのぼり旗をさしてお神輿(子供用の小さいの)に付ける作業。元旦と、2日 にお神輿を置く家(当家という)に出向いて作業するわけですが、結構面倒。完成したらそこのおうちを退出し家に戻り、夜6時半か7時になったらまたその家に行く。神様の御伽ということで神様のところで地区の子どもが集まって出されたお菓子を食ってトランプ等ゲームをして過ごすわけですね。
元旦と2日、 の当家 3日と4日、の当家の2軒は毎年違うわけですが、我々は毎日その当家に夜行くわけでしてお正月1-4日の夜はほぼ家にいないんですね。で5日の日はお発ち(神様が戻られる日)ということで、神輿を地区内に練り歩かせて、お昼にごちそうをお呼ばれして帰る。1日以外の2,3,4日目は夜だけなんですけど5日の日は昼がメイン。
これで、お正月の行事が終わるわけです。いや、実は1-5日の移動お神輿は大人版もあって11-15日(昔は1月15日が祝日だったので)、まったく同じことをやるわけです(お神輿が大人世のでかいサイズに変わるだけ)。延々と行事は1月中続きました。
小中学校のお正月休みは7日までですよね。てことでお発ちが終わったらもう冬休みは終わりに近付いている。あっという間の2週間。
こんなお正月風景が、中学2年生の時まで続きました。
お正月に「旅に出る」なんてとんでもない。お正月は楽しいかというと?な感じですかね。大変なことばかりではなかったのですが。
そしてそこまであれこれ準備しているわけですから、お宮参り等行事は本当に「すごく張り詰めた気持」であり、大晦日までのドタバタした喧騒とお正月以降のほんわかさ、ある時点を境にして180度変わる。という点で年越しというのはものすごい大きなものだったのです。
初詣中に携帯で12時になったらお祝いメールとか電話で「あけおめ」なんて、昔我々が子供の頃に携帯があったとしても絶対に許されない行為でしたね。
そんなお正月がとても嫌でした。
毎年毎年、正月は型にはまった、しかもなんかすごくせわしく緊張を強いられるものだったので。
でも3年前から父親が初詣にいかなくなり(施設入所のため)、今年からは父親も母親もいなくなったので田舎にかえって初詣をすることもなくなり、異国のカンボジアで、酒飲みながらどんちゃん騒ぎをして、花火を上げるような(わしは見てただけですが)「軽い年越し」を体験してみて、
「あの初詣の時のピンと重く張り詰めた空気」や「お正月の準備のドタバタ」
すごく懐かしいな。としみじみ思ったわけです。子供の頃ほんと嫌だったのに不思議なものですね。
初詣から帰って寝る前にトイレに行って用を足している時、「これは二年越しのおしっこか」とか思いましたもん。
もうこれから先あんな重く張り詰めたお正月を迎えることはありえないのですが、昔の人はああいう風に生活にメリハリをつけていたのですね。もともと言うこと聞かずの頑固な親父でしたが、お正月の過ごし方は頑として(85歳過ぎて家を売って街に出るまで)変えませんでした。多分明治生まれの祖父の時代もそうだったのでしょうね。
若い頃にその意義もわからずひたすら嫌だったものが、懐かしさと共に年を経るとその意義がわかってくることも多いのでしょう。
今まであちこち旅にでたけれど、やっぱわしは小心者なので、いつも不安を抱えている。
今回のカンボジア・タイの旅はその意味では、一番の難所陸路の国境越えが、「ツアーに参加しての移動」だったので本当に楽だった、それ以外に移動で不安になることも少なかった。
車に乗れば、本当にこいつは目的地まで連れていってくれるのだろうか?知らない山林に連れて行かれて身ぐるみ剥がれてポイされるのじゃないか とか あるいは、電車やバスに乗って、今どこを走っているのだろうか、目的地を乗り過ごしていないだろうか、だとか。旅に出ると本当に慣れない土地で普段なら何気ないことに神経質になる。
しかしそれらの問題は、現在位置が把握できれば一挙に解決されます。
携帯電話が、そろそろそれに対応しそう。もう技術的には全く問題がないだろう。ただGPS機能は使えるが、その現在地を表示するための地図のダウンロードはかなり通信量=パケットを食うので、海外使い放題定額(しかしこれが高い)に加入しないとまずい。もうちょっと値段が下がらないと2泊3日の台湾なんて場合以外は使いづらい。また旅先で確実に電波のアンテナが立って通信をしてくれるかも、途上国だと不安だ。
現時点では、どちらかというと最初から地図を内蔵してるほうがいいのかもしれない。
とおもっていたところ、こんなデジカメがあるんですねー。
GPS内蔵デジカメだそうです。しかも嬉しいことに「目が粗いが」地図もカメラ内蔵だということ。
こりゃ使えるな。すげえな。
知らない土地で今どこにいるかがわかれば、長距離列車に乗っていても安心。時刻通りに動いてない海外の列車は、1時間2時間遅れると全くどこにいるのか把握が出来なくなりますからねえ。そうなると必死で通過する駅の駅名表示を目で追わなければいけなくなる。
タクシーに乗っても運転手に方向が違うと文句が言えるから、夜のタクシーに一人で乗って心細い思いをすることも減るだろう。
いやいやこういう技術革新は大歓迎。もうちょっと実用的になるのを首を長くして待っています。
バンコク方面へ行くバス停でバスを待っていたのはいいが、一体どのバスに乗っていいのかわからん。
しばし悩んでいるうちに、すこしずつ時間は経つ。
いや、別にどこでもいいからバンコク市内(地下鉄かBTSの駅のある辺)へ行きたいんだが。
バンコクの市内から外れているせいか、ジモティは英語が全くダメで、わしもタイ語は簡単な単語と数字くらいしか喋れんから話にならん。
と佇んでいたら、バスのタイ文字の下にローマ字で「ヴィクトリーモニュメント」って書いてあるバスが来た。おおっと思って、車掌さんに「アヌサワリーチャイ?」って聞くと「行く」という。やったー。
このバスがまたエアコンバスな上に、途中高速道路を経由するためやたらと速い。おかげで、戦勝記念塔(アヌサワリーチャイ)には思いのほか早く着いて、「空港高いけど、時間がないし昼飯は空港で食べないと行けないかなあ」と思っていたところ、戦勝記念塔付近で麺の昼飯が食えた。味は同じで空港の半額以下だからね。空港のレストランは確かに小奇麗ではあるけれど。
エアコンバスは窓が閉まっている上に、今回は終点までの乗車なので、あわてて途中で降りる危険もなく、安心してボクはBOXの外にだしてもらえるかも。
前のブログの非冷房のボロバスとはずいぶん違うかも。
戦勝記念塔付近で昼飯を食った後、戦勝記念塔駅からBTSでパヤタイに移動、そこから空港連絡鉄道に乗り換え。
タイのBTS
外からみると窓がなくて(というか窓の部分が広告になってて)囚人護送車みたいだなあ。でも中からは窓があって外が見れる。
電車は30分ほどで空港に着く。出発の1時間20分前できっちり予定通り。
最初に到着したとき、75枚もお釣りでコインをだしやがった券売機を記念撮影。
時間も時間だし、冒頭の成田空港の職員の話(座席リクエストしてないとダメだよってやつ)もあるし、絶対残り物のトイレ前席のようなカス席しか無いだろうと思ってチェックイン、
ところが、 「どの席がいい?」ってオバサン職員が聞く。
え、座席を指定してあった団体のキャンセルでもあったのかなあと思い、 「アイル(通路側)シートあるか?」と聞いたら。
「ない、センターオンリー」
だったら聞くな、、エコノミーのチェックインカウンターに座ってるんだから今日の状況なんか十分分かっているだろう。目の前のモニターを今まで見てなかったんか?。
まあいいさ、映画でも見てれば座席も関係ないし、帰りは行きとは違って気流の関係で5時間ちょっとで着くはずだからと思って、イミグレを抜け免税店を冷やかし(いや、時間はあまりないので通り過ぎるだけ)、ゲートに行ってみると、あらら、、機材がジャンボ(B-747)になってる(超汗)。
最初の案内では、各シートに「パーソナルモニター」のある機材の予定だったんだけれど、B-747じゃ映画は望み薄(いや大きなスクリーンで映画をやるにはやりますがね)、こらパソコン広げていろいろ作業やるしかないなー、バッテリー充電も満タンだし。
出発直前かも。
しかし 行き先 HANEDAはどうかなあかも。一つ上のソウルは、ソウル/インチョンとなってるし、TOKYO/HANEDA にしないと(日本人以外)わけがわからないかも。
あらら、帰りの飛行機はB-747かも。
往年の名機だけど、さすがに古いのでエンターテイメントに難があるかも。1月3日はかきいれ時で、タイ航空も一番客数の多い機材を臨時に割り当てたのかも。
飛行機はいよいよ日本に向けて出発。サヨナラバンコク、サヨナラカンボジア。また来るからねー。飛行機は離陸し、上昇をして、水平飛行になってからしばらくしてお食事タイム。
旅行最終日1月3日。帰国の日。
朝7時頃に起きて、宿をでる。
今回もお世話になった「スリクルンホテル」
ファランポーン駅から地下鉄でも良いけれど、やっぱファランポーンからならやっぱ29番のバスでしょ。ってことで29番に乗る。
※ バンコクバス物語(水谷光一)
私が初めてタイに来たのはタイ暦位置1987年 (仏暦2530年)だった。パキスタン航空に乗って、カラチから当時のドーンムアン空港に着いたのが夜11時ごろ。当時完成したばかりのドーンムアン空港の新館のベンチで一晩寝て、朝5時ごろにおそるおそる空港ビルを出て、大通りのバス停に立った。どこで誰から聞いたか忘れたが、既に空港から市内へは29番のバスに乗ればいいということは知っていた。もちろんタイ語は一言も話せなかった。
少し待つと、かなり混んだ29番のバスが来た。まだ薄暗いのにこんなに多くの人がバスに乗っているのか、といささか驚いた。
中にはまだ洗ったばかりの濡れた髪の女の子がいた。バスに乗っている女の子は皆申し合わせたようにおかっぱ頭ばかりだったことと、ネクタイを締めた勤め人風の男性が1人もいなかったことが印象に残っている。今から考えたら、空港で一晩寝なくても29番のバスは深夜まであったのかもしれない。
当時、エアコンなしのバスは2バーツだった。考えてみれば、タイに初めて来たその日からバンコクのバスのお世話になっているわけである。
初めてのタイ、わしは空港で一泊はしませんでしたが、やっぱりパキスタン航空利用で空港から29番に乗ってファランポーン駅に行き、駅前の安宿で一泊しました。ドンムアン空港利用の日本人で29番を利用したひとが結構いたわけです。いまだバンコクのバスの中でも29はエースナンバーだ(だった)とわし的には確信してたりするわけで。
でも時代は流れファランポーン駅のバス乗り場に来た29番のバスは小奇麗なエアコン車。
早速乗車して、戦勝記念塔まで。戦勝記念塔からスカイトレインに乗り換えモーチット駅、モーチット駅からモーチットのバスターミナルまでバイクタクシー(これが結構距離あるんですよね)。
昨日ネットで調べたところによると、104番のバスに乗れば終点のパーククレットってところまで行けて、そこから渡し船にのればコークレット(クレット島)に行けるらしい。
で早速104番のバスに乗り込んだわけですが、
明けて正月二日、いよいよ今日からは旅の終わりの始まり、まずはバンコクまで帰ります。
朝食を食べている時朝日が昇った。
朝食をしっかり食い(カリカリベーコン大盛で)、荷物をまとめて宿をでる。
チェックアウト時にランドリーサービス代5ドル請求され驚いたのはちょっと前に書きました。
宿の前からバイクタクシーに乗って、バス乗り場まで。7時半の出発の10分前にバス乗り場に着く。途中運転手が交差点を折れ全然違うところに連れていこうとしたので慌てて、ちがうちがうと道を修正(前日自分でチケットを買いに行っていてよかった。誰かに頼んでいたら、バス乗り場の場所が解らないから修正できず乗り遅れただろうな)。
そうそう、運転手さんが携帯を使って客と連絡をとっているって話を2つ前のブログに書きましたが、このバスでの出来事だった。なんか前のバスの時のことかと頭が混乱してた(汗)。まあ話の大筋に問題はない訳ですが。
さて、バスは順調に走って4時間半、無事カンボジアの首都プノンペンに到着。
バスを降りてからがもう超ダッシュで観光。飛行機は15時40分発、、、14時10分(1時間半前)には空港には着きたい。空港まではあまり距離がないと聞いていたので15分と見積もると、14時まで、12時から14時までの2時間しか余裕が無い。
その2時間で、博物館を2つ見るというとんでもなスケジュールなのです。
バスを降りてから、国立博物館までは歩ける距離だと思っていたので(実際そうだった)、暑い中小走りに近い早足で博物館を目指す。
国立博物館にいたのが1時間弱。大きな博物館ではないけれどやっぱ時間に余裕が無いのは辛いな。あまりにあわててて、写真を取るのを全く忘れていた(汗)。
国立博物館を観終えたあと、博物館前にいたトゥクトゥクでトゥール・スレン博物館へ向かう。
観光地にいるタクシーやトゥクトゥクはぼるのが常識、ぼらなくても高めの運賃なのは常識ですが、1ドル、2ドルぼられても、「時間のほうが欲しい」ので言い値で乗車。値切ろうにも次の博物館までの距離がまったくわからない。
ノロドム通り
2011年元旦、朝。
目覚ましを一切かけずに目が覚める。
いよいよ1年の始まりだなあ。親が元気な頃は、どんなに夜更かしして寝ていても叩き起されて眠い目でお屠蘇+お雑煮のコースだったんですけれどね。朝飯食ったら眠くてまた布団に入っていたりして。
朝目が覚めたらすでに日は昇っていた。
人生2度目の外国でみる朝日。てか日本でも初日の出なんて見たことないや。
朝ご飯は、ごくごく普通なバイキング式のお食事。元旦だからって雑煮はなし(当たり前か)。ここは、麺とか別途頼むと作ってくれるので結構これは嬉しい(翌日はシーフード麺を頼んだ)。カリカリベーコンもふんだんで朝食は二重丸。
あけましておめでとうかも。
朝ご飯かも。OKEさんは大好きなカリカリベーコンがあって朝からゴキゲンかも。でも脂分もあって、食べ過ぎは健康には良くないかも。
元旦はとにかく「なにもしない日」と決めていた。
ので、朝飯を食ったあと部屋に戻り、準備をしてのんびりするためビーチにおでかけ。
まずは一番有名なオーチュテルビーチ探索、名前のとおりゴミ(昨日の大騒ぎの影響での花火などなど)がおーちてる(笑)。
オーチュティルビーチかも。
泳いだりするのもいいけれど、一人旅の場合はちょっと虚しいので、のんびりとチェアに横になってぼやーっと過ごすのが最高の贅沢かも。
新年早々、南国ににつかわしくない寒いオヤヂギャグで年が開けましたが、とりあえず適当なところで横になってみる。が、なかなかに朝早くから道行く営業がうるさい(物売り、移動マッサージ屋などなど)、ガイドブックによればもっとひなびた静かなビーチもあるらしい。ジモティや通はそっちに行くとか。
てことで早々に、そんなひなびたビクトリービーチにバイクタクシーで移動。結構な距離があった。
ここはあまり遠浅じゃないとか、狭いとかいろいろとビーチ的にはマイナス面があるようですが、人が少なくてのんびり時間を過ごすには最適。
大晦日、12月31日は移動日。
シェムリアップからプノンペン、プノンペンからシアヌークビルまで10時間以上の長旅となります。
しかし、日程が一週間ほどの旅で1日をまるまる移動日に使うのは勿体無いな、でも仕方がない、、、と思っていたら、街の旅行代理店のそこかしこに、「シアヌークビルまで夜行バス10時発」なんてのがでてる。
えー、事前調査段階では、道の悪さだけが強調され、そんな夜行バスがあるなんて全然書いてないぞー。
昔の赤土のダート道路は消えシアヌークビルまでは完全舗装の様子。夜行バスが使えるなら半日時間を有効に使えたのになあ。行き当たりばったりの旅ならすぐに旅行の予定を変更するけれど、シアヌークビルの宿は大晦日と元日にかかるのでちょっと心配で、すでに予約&お金を支払っているので予定変更ももったいない(汗)。まあ年齢的に夜行は少しきついってのもあるし(でも寝台バスもあるみたいだ)。
朝6時前に起き、6時半前に食堂へ。
趙直を頼むも全く何も持ってこない。ギリギリになって「今は作れない」なんて言ってきた。2回オーダーしたんだぞー。
だったら、最初から「作れない」って言えや。こういうところいい加減さが東南アジアなんだよな。仕方がない。
宿の正面(サワデー アンコール イン)。
事前のネットによるチェックでは、この宿は良いと悪いが評価が分かれていたけど、わし的には普通の宿だと思う。
ちょっと商売っ気が強い所は、自分で何でもしたいというバックパッカーには不評なんだと思いますが、泊まる分には普通だしお湯もでるし(ちと水圧が弱いが)部屋も別に汚くないのでわし的には十分です。カオサンからのツアー(A&Rトラベル)ではここに泊まるツアーも多いらしいのですが。あ、ただツアーの場合、バンコクからの移動+ガイド代等全部込みセット料金なのでここの元の値段がわかりませんので高いのか安いのか、そこは判断つかない。同じくらいのコストでもっといい宿がある可能性は十分にありますね。
宿の前の道。
最初のガイドさん曰く、「昔はこの道通ってずっとポイペト(=タイとの国境)に行ったんですよ。必ず一泊したんですけど、今は舗装道路で3時間ですからねー」 ポイペトまでこの道が通じていたのか、このような状態の道が通じていたのか忘れたけど、本当にちょっと数年前までは、国内移動は大変だった様子。しかし雨期にこの宿に泊まるのはつらいかもしれない。
宿の入り口。
6時45分にお迎えのバスが来る。
しかし、またこれから延々と市中引き回しの刑(ホテルをぐるぐる回って客を拾う)。
どうも、このピックアップサービスを「とても良いサービスだ」と考えている節もあります(東南アジアの国々で)が、わし的にはとっても無用なサービス。
結局45分間街中をグルグルまわり、バスターミナルに着いたのが7時30分。
多分トゥクトゥクかバイクタクシーで10分くらいでターミナルに着く(=運賃は2ドルくらい?)、 ってことは2ドル出せば、出発を7時15分にできたわけで、約30分の時間的余裕ができ朝食がゆっくり食べられたんですね。狭いマイクロバスに乗って朝から路地をちょろちょろと走っては客を拾うのに付き合っていたらたまらんです。
そんなことをいろいろと考えたけれど、言葉が通じないのでおとなしく車に乗ってるしか無い。ほんと非効率です。
そうそう、千葉市内各所から成田空港にいくリムジンバスがまさにこれと同じで、わしも始発から終点まで乗ったことがありますが体験したい方は一度どーぞ。ま、日本の市中引き回しの刑バスはちゃんと時刻が明示されているから、嫌なら乗らなきゃいいって選択が簡単にできます。
バスは7時30分に出発。
出発してすぐにガソリンスタンドの近所で停止。
なんでかなあーと思ったら、運転士さんが携帯を出してどこかに電話している。
予約客に「バスは来てるぞ、おめー遅せえぞ、なにしとんだ、さっさと来いや!」の電話をしている様子。ほどなくしてお客さんが乗ってきた。
ほんと携帯電話って、、、すごい。明らかに世界の人が携帯電話の出現で生活に変化がおきてますよね。昔なら10分くらい運転士さんがまって、来ねえから行くかって感じで遅刻客は処理されたとこです。連絡する手立てがないもんね。
しかし、、、車運転しながら電話はやめてほしい。100km超える速度でも電話するもんね。いやいやバイクでもヘルメットの隙間に携帯を入れて電話してやがる(汗)。
バスは韓国製のお古か。
しかし、、しつこいな。こういう粘着性がないと国際社会で領土問題は有利に運べないんでしょうが、、、日本人淡白すぎ。
バスは6時間ほどかかって、首都プノンペンへ。
直行バスか乗り換えバスかとしつこく聞いたけれどさっぱり要領を得なかったが、全員降りろといわれたのでどうも乗り換えでシアヌークビルまで行くらしい。
バスの待合室で暫く待ってたら、シアヌークビル行だから乗れと係員が合図。乗ってみたら、、、あーらシェムリアップから乗ってきたバスそのものでねーかよ。一旦全員降ろして掃除したのかな。
バスは中古ながら、ビデオ放映装置は後付で新しいものらしい。このエンターテイメント装置はほんとアジア各所で欠かせないみたいですね。
で車内全体に音声をガンガン出すのがデフォルトですから辛い(汗)。
日本の夜行バスも、午後7時発で翌朝現地着なんてのは、出発して2時間ほどビデオを流すってサービスをしていた時期がありましたが、今はもうやっているところ少ないんじゃないかなあ。
ビデオなんか見なくても、携帯があれば携帯をいじっている方がいいやってのが客のほとんどですもんね。youtubeなんか最近の携帯(スマートフォンとか)は見れるから好きな動画が見れるし。
プノンペンから4時間半ほど。2010年最後の日没を過ぎて辺りも真っ暗な午後7時バスは無事シアヌークビルに到着。
全く街の様子が解らないので、適当に近くのバイクタクシーに乗り言い値でホテルへ。
ホテルは、結構いいホテル(わし的には)だった。1泊30ドル(2500円)もしたんだもんね。
さっそくランドリーサービスで汚れ物を出したけれど、、、上のホテルのリンクの外人さんのカキコミのマイナスポイントのように「めっちゃ高かった」前の宿のように1ドル=1キロなつもりで出したら、靴下2枚=1ドル ってどんだけー(涙)。あとで街にでたら1キロ=0.75ドルってところもあって、、、洗濯出すときは気づかなかったけれど会計の時に、5ドルも請求されて(出したのは、靴下2枚(1ドル)、パンツ2枚(1ドル)、ハンドタオル2枚(1ドル)、Tシャツ2枚(2ドル))ガックリ。わかってたら最低でもハンドタオルと靴下は絶対自分で洗ってる(苦笑)、いや外の洗濯屋に出しに行ってるな、重さ1kgないもん。
ま、それはともかくチェックインしてすぐに晩ご飯を食べに出かける。
ビーチはすでに、大晦日の観光客と現地人で大賑わい。
なんか打ち上げ花火を売りまくりの買いまくりの、打ち上げまくり。翌日のビーチは「花火のゴミだらけ」でした。
ちょっと離れたところでは手に持って打ち上げ花火を飛ばしてたり、、、騒ぎすぎだべ。
こんばんわかも。
今日は1日中移動なのでボクの出番がなかったかも。
シアヌークビルのビーチにいるけれど大晦日ですごい盛り上がりかも。
一通り、ビーチを回ったけれど、すごい喧騒には体の疲れもあって馴染めず、そそくさと退散。
ビーチから宿の間にあるレストランで食事。
カンボジア風カレーかも。
おいしかったかも。
ご飯を食べたあと宿に戻ろうとしてのんびり歩いていたらちょっと盛り上がっているエリアを発見。早速探訪。
簡易遊具施設があって、現地の人で盛り上がっている様子。
風船に当てて割ると何かしら景品が貰える仕組み。どこの国でもこういう夜店にはおなじようなアトラクションがありますね。
景品もらっても困るのでわしはやりませんでしたが。
水とお茶とアイス1個買って宿に戻る。
午後10時頃だったけれど、ちょうど時差が2時間あるのでNHKのBSの国際放送は新年の特番。あれ、わしの地元の亀戸天神がでてるじゃないか(苦笑)、まさかカンボジアで亀戸天神の初詣風景を見るとは思わなかったなあ。
アイスを食ってからテレビをみててそのまま就寝。大晦日だけれど特に何も無い静かな年越しでした。
つづくかも。
今日は、お昼は歯医者さんへ。
特に何が悪いということではなく、半年毎の定期健診。歯医者はとても嫌いなので定期的に行くというのは矛盾があるように見えるけれど、悪くなって弄り回されるのがもっと辛いからねえ。
歯医者嫌いという点ではお子様であるOKEの行っている歯科は、いつも優しい女性の先生(わしと同い年かもちょっと上か)なんで、、、なんとか行けてます。
歯石をとって、ブラッシングして、、、、舌で触るとなんかつるつるなんですけれど、わしの歯。
帰宅して鏡を見てニヤリ(笑)。
歯間ブラシを使って最近歯を磨いていますが、「前より状態いいですよ」というお言葉。やっぱ歯間ブラシを使って磨いたほうがいいみたいだ。
しかし、歯石取りは・・・相変わらず痛いですね。わしは半年毎に除去しているので歯茎の深くには歯石は出来ていないと思うのですがそれでも痛い、溜まって歯茎に深い人は除去に麻酔までするんだそうですね。
やっぱ定期的に行ったほうがいいみたい。
遺跡見学とオールドマーケット見学は早めに終わり、その後宿でくつろぐ。
今日の遺跡見学で一緒だった佐藤兄妹と、カンボジア・ダンス(アプサラ)を観に行くこととなり、それまでの間外出してマッサージ(笑)。
1時間半8ドル、、、うーん、やっぱ1時間3ドルのマッサージには腕は及ばなかったなあ、値段と比例しないところがなんとも。
約束の時間前に宿に戻り3人でトゥクトゥクに乗ってレストラン、クレーンⅡ(ガイドさんおすすめのお店)へ。
昨日は、サッカー、今日は朝5時40分に起きないといけないけれどやっぱり観戦は止められん。
スポーツは録画は面白く無いからねえ。
てことで、結局横になったのが2時過ぎ、寝たのは更に後。サッカーは緊張してみているのでなかなか終わっても寝付けなくなる事が多いんです。
目覚ましを3つ掛け、部屋の電気を明るくし、周囲を絶対に起きれる状態にして寝たのでなんとか目を覚まし、シャワーを浴びて着替えをしておでかけ、相模原へ。
普段は京王線を使うのですが、今日は遠回りになるけれど速いJR(中央線)を使ってみた。確かに速いけれど中央線は、「電車が停まる=人身事故」の常連なんで予定がある時はちょっと怖い、微妙に高いしね。あと八王子で降りないといけないけれど寝て高尾まで行ってしまいそうなのもマイナス。朝の寝不足の時は「終点で下ろされる=京王線」ほうがいいなあ、ただもうあと10分早く家をでないと座っていけないのでそこがネック(今日JRにした原因)。寝不足の時は、その10分がなかなか作れないんですよねー。特に冬場は。
夏は嫌いだけれど、朝起きるのが辛くないのはいいところだなあと思う昨今。
夕方から東京プチ(同窓会)の打ち合わせ。携帯忘れて大失敗。連絡が取れんもんね。新橋駅のホームでPCをひらいて、ウメさんの電話番号を調べ、PHS(こっちは忘れてなかった)で電話(大汗)、、、かなり遅刻。
東京プチの内容も検討しましたが、、、「東向島酎ハイ街道」の話で盛がる。
くまさんに教えてもらったところだけれど、また近いうちに行ってみたいです。2000円で確実にベロベロになれます(大酒飲み除く)ので参加者常時募集中!
前の日のアンコールワットその他に行った時のガイドさんと、次の日のベンメリアに行ったガイドさんは違っていました。
次の日のガイドさんは若いお兄さんで20代、遺跡のガイドだけでした。
でも、前の日のガイドさんは遺跡以外のガイドがかなり面白かった。
ガイドさん
年は聞かなかったが、、、内戦時代を生き抜いてきた人なのだそうで、年齢的には30代後半以降か、、でも小さい子供が居るって言ってたな。
§ 「私は中学しかでてませんので、上手く説明できなかったらごめんなさい」
日本語ガイドに限らず外国の観光地の外国語ガイドは基本的にインテリが多く(当たり前か)、特に途上国で仕事が少ない場合は、日本でいう、東京外大のようなエリート学校を出た人が普通に観光地でガイドをしてます。
ポルポト時代はみな学校に行けなかった由、だからみな小学校とか中学校卒でおしまい。若い人はそうでもないですが、中年から上についてはカンボジアで学歴聞いてはまずいですね。てか日本なら「一流大学卒」くらいの頭がある人でも「小学校卒、中学卒」なのですからそもそもが比較できない。
殺されないだけよかったのでしょうが、勉強したい人には辛い日々(みな、農作業とかさせられたので)だったのでしょうね。
このガイドさん、英語もできるし、あとでずいぶんと語学習得に努力されたのでしょうか。ましかし、語学の能力があれば一般庶民とは比較にならないくらいの稼ぎになるわけですから、必死にもなりますよね。
§ 「昔内戦の頃戦車に乗っていたんです。で部隊で、仏像の頭を切ったものを戦車の中にかくして、タイとの国境に持っていったりしたんです。そうするとタイ人超のお金持ちがバーツ紙幣をトランクに詰めたのを持っていて、それを買い取っていく。彼らはすごいお金もってるんです。」
「戦車の中だから絶対に見つかりません」
タイを旅してアユタヤとかで仏様の首から上のない仏像をたくさん見ます。タイ人ガイドさんは「ミャンマー(ビルマ)軍」が進行したとき全部持って行きました。」とか説明をするわけですが、、結局
「宗教戦争=イスラムの侵入(カンボジアにはないですが)とか仏教エリアにヒンドゥーの侵攻とか」の場合はそういうことも普通にありますが、そうでない場合は「お金持ちの為に売られた=盗賊が持っていった」ってのもすごくあるような気がします。その場合は国籍関係なしです。今回はカンボジアが内戦で皆が貧乏で、隣国タイはお金持ちがいたってことですよね。タイ人だからではなく、ベトナム人の金持ちがいたらベトナム人の金持ちも仏像の頭を持ってでたかもしれません。
文化財の盗掘は平時にはとんでもない違法でしょうが戦争でギリギリの生活をしている人にそんな「平時の規範」を求めることはちょっと無理な気がします。わしだって生活苦で生きるか死ぬかギリギリの時(しかも国が大荒れしている時)は、文化財を金持ちの外国人に生きるため売るかもしれません。
しかし、、、フランス外人部隊は戦車の中にビールを隠し持っており、喉が乾いたらぐびーっと飲んでいるなんて以前書いてあるのを読んだことがありますが、この程度だとずいぶんとフランス人ぽくて可愛いですね。あ、インドシナにはフランス軍も駐留していたので、当然ながらフランス外人部隊もカンボジアに派遣されていたのですね。そのころには「缶ビール」はなかったはずで、甁のビールを戦車に隠し持っていたのかどうか。その前にビールが気温で熱燗になるか(笑)。
§ 「ロケットランチャーを肩に乘せて砲撃もずいぶんしました。(弾の形とか撃ち方とかいろいろ地面に手で書いて説明してくれる)。」
「ええっ、あれは半端無くすごい音がするでしょう?」(わし)
「そうなんです、当然耳栓をするのですが、音が大きくて続けて10発くらい撃つと耳から出血し始めるんですね、その後1,2ヶ月は全く音が聞こえなくなります。」
自衛隊の基地祭とかいくと模擬訓練で砲撃とか(お客がたくさんいるから当然空砲だと思う)するんですが、小銃のような小さい銃でもものすごい音なんです。大砲の音はそれこそ「腹に響く音」、一度基地祭とか行ってみてください。しかし、耳から血を流しながら戦闘をしているなんて・・・。
§ 「アンコールワットのような寺院は本当に軍隊が駐留するには良い施設なんです。兵士を駐屯させる広い土地がありますし、中央の祠堂に登れば、全体が見渡せて警戒もできる。本当に便利なんですね。(駐屯とか祠堂という難しい用語は使われてなかったのでわしが補足))」
「アンコールワットも、敵がアンコールトムに駐留していて、お互いの間で戦争してたんです。」
「だから今ここ(わしらの立っているアンコールワットの入り口)あたりにも、たくさん地雷が埋まっていたんです。」
※アンコールワットとアンコールトムの位置関係はこちら
当たり前だけれど、アンコールワットもアンコールトムも、「超一流の遺跡で、カンボジアの外貨の稼ぎ頭」ですから、真っ先に地雷除去をされ綺麗になったのだと思うんですが、内戦の最悪期はとんでもないことになっていたのですね。
§ 「内戦が集結してまだ時間が経ってなかった頃(危ない頃)、アメリカ人の旅行客が5人来たんです。で、皆が危ないからという遺跡に行ってみたいとドライバーとガイドを雇ってでかけたんです。」
「で、途中で殺されたんですね。ポルポト派に。ガイドとドライバーもろともに全員。殺された理由は外国人だから。」
「殺されたアメリカ人はたくさんお金を持っていたんです。でも全然盗られてなかった。アメリカ人を殺した奴らはお金の意味が全くわからなかったのですね(=ポルポト派は通貨を廃止した)。」
教育というのは恐ろしい。お金って小さい頃から馴染んでいるけれど、お金をみたことがない人にお金の説明をするほど難しいことはないんだろうな。ドルは緑の紙だから。
ポルポト時代に大量に虐殺があったため、人口構成的に圧倒的に中高年が少ないといういびつな状況のようですが、特にポルポト派が知識人を優先して殺してしまったところに非常に復興が厳しくなった面がありますよね。
そうそう、知識人を殺してしまったために、一時的にまったく法律等は機能しない状態になりました(法律家が皆無となったため)が、カンボジアの民法・民事訴訟(手続)法は、日本が全面的に支援をして、日本民法・訴訟法を土台に(てか日本の法律家が入ればある程度はそうなるだろうな)最近作られたのだそうです。 こちら
法学部卒なら、日本の民法が最初フランス民法を導入し途中からドイツ民法に変え(民法典論争)、戦後アメリカの影響を色濃くうけて親族相続(家族)法が改変されたっていう簡単な経緯は、専門科目の最初に学びます。
日本でも明治から100年たってそういうことをまだ受け継がれているのだから、カンボジアでも延々と(カンボジアという国がある限り)語りづかれるというか法律として残るわけで、非常に良い支援です。
しかし、、、日本人が日本語で書いてあるのを理解することさえ難解な法律条文をクメール語にしてなおかつカンボジア独自の慣習や家族の関係まで取り込むって大変だろうと思ったら、
民法各章の重要な制度について一通り条文要項がまとめられた後,議論の 2 ラウンド目には条文要項を条文の形にまとめ,また,条文要項を作成していなかったものについても条文案を作成した。その際,他の国が行った法整備支援では支援国の言語で起草したのに対して,日本の支援では条文をすべてクメール語にすることとしていたが,西欧の法律用語に対応するクメール語が存在しない場合も多く,1200条を超える民法典において,最後のクメール語条文を全部作成する翻訳担当者の労苦は予想をはるかに越えるものであった。
だそうで、、、すごいな。
かものはしかも君と行くシリーズ、、、一旦CMではなく おまけでした。
つづくかも。
日付が変わって12月30日、今日はベンメリア遺跡見学。
アンコールワットから東へ40kmほどあるそうで、数年前までは地雷だらけで観光どころではなかったそうですが、今は地雷も除去されて綺麗サッパリ。で、歩き方みたいなガイドブックには、市内から距離があるので山賊が出るとかそんな話も書いてありますが、ツアーで乗っかっていく分には全く問題もなく、諸外国のツーリストもバンバンバスやワゴン車やタクシーで乗り付けておりました。このへんの治安状況も1年経つと全然違ってくるのですね。
さて、ツアーメンバーは日本語ガイドさんだけに、全員日本人、女子大生3人組、福岡の若いお兄さん、佐藤兄妹、わしの7名。
さくっと1時間ちょっと(くらいだったと思う)、車に揺られてやってきました。
今日最後の遺跡、アンコール・トム内の中心にあるバイヨン寺院。
こちらも12世紀末の建造だそうです。トゥクトゥクで象のテラスの前を通って、いよいよ寺院へ。
今回は遺跡を観に行ったので、当たり前ですけど遺跡の写真が続きます。
ただ、似たように見えて、遺跡も少し(かなり?)違いがあるので見ていて飽きません。でも写真だけ見ている人は、またかーって思っちゃいますよね。辛いでしょうが今暫くお付き合いください。
午後イチに行ったのはバンテアイ・スレイ。
最初に前払いした代金にはこの遺跡見学は入っていませんでしたが、追加オプションでガイドさんに誘われました。まあこのへんで彼らは副収入をちょこちょこと稼いでいるのでしょうね。観光客ってカンボジアにちょくちょく行く人は少ないだろうから、そらあ誘われたら行く人多いでしょう。
しかも、ここの名物は、「東洋のモナリザ」と言われているレリーフ。そう誘われたらそら行きますって。で、、一体どんなものなんでしょうね。
トゥクトゥクで郊外の道をトコトコと30-40分ほど走って(これがなかなかに良い、市内では排気ガス吸いまくりなんですが、郊外に出るとオープンなトゥクトゥクは風を感じられてとても新鮮)つきました。パンテアィ・スレイ
到着しますた。
今まで見てきた2つの遺跡とどこが違うかって、もう明らかに色が違いますね。ピンク色(赤色砂岩というらしいです)を使った遺跡です。この赤色砂岩、綺麗な上にあまり崩れていないないんですね(そういう岩なのか偶然なのかは知らない)。だからレリーフがとても綺麗。
手前の像なんかは復元だそうです。
ほんと細かいです。
で、よく残っています。
地球の歩き方によると、創建967年だそうで、アンコールワットよりだいぶ古い。
えっとネット検索によると清少納言が960年代、紫式部が970年代のご活躍だそうで、まさにその頃です。すんげー。
清少納言がいたら、
秋は夕暮れ。バンテアィ・スレイに夕日のさして、寺の壁などいみじう紅くなりたる、いとおかし。と詠んだかもしれません(笑)。でも年中暑くて四季がなさそうだから(雨季と乾季としかない)、やっぱ枕草子は書けんなあ。
赤い砂岩の色合いにボクの黄色が映えるかも。
ということで、バンテアイ・スレイの見物は終わり、またトゥクトゥクでトコトコと街まで戻ります。街に戻って本日最後(4ヶ所目)の遺跡、アンコールトムに向かいます。
しかし、、、一体いくつあるんだアンコール付近の遺跡、丁寧に見て行ったら1ヶ月くらいはかかりそうだ。
つづくかも。
さてさて、アンコールワット見物を終わり、次は、タ・プローム遺跡へ。
移動はそんなに遠くない。
で、この遺跡がねえ、、またまたいいんですよ。
さっそくボクも記念撮影かも。
自然の力はすごいかも。
またまたナーガ(蛇神)とご対面かも。
蛇に睨まれたカエル じゃなくて 蛇に睨まれたかものはしかも かも。
ど真ん中・木の根と根の間に小さく仏像があるんですが、見えますか?
何と言うか、説明の必要もなく凄いですね。
カジュマルの樹の生命力に脱帽。
ガイドさんいわく、
「当たり前ですが、このままの状態ですと将来お寺は崩れていきます。でも、それをどうするのかは政府が決めます。このままもっと自然に任せるのか木を切ってお寺の修復をするか、どうなるのかわかりません」
日本だったら絶対こんな「あるがまま」の放置(意図的ではありますが)はせず、必ず修復の専門家が当時のままに復元すると思いますが、自然のままというのも悪くはないですね。
でも、カンボジアの貴重な収入源ですから、あまりにひどく朽ち果てるのはよろしくなく、やっぱある程度のところで木を切ってしまうのではないでしょうか。とわしは勝手に想像しています。
ということでなかなかいい遺跡を見せてもらったあと、時間もいい頃合で、お腹が空いたので、
「お昼ごはんターイム」
トゥクトゥクに乗せられてレストランへ。ツアーですから行き先は告げずとも勝手に連れていってくれるわけで(当然コミッションはガイドさんにレストランから渡るんだろうな・・店を選ばずにすむのは楽だけれどつまらないと感じる人もいるかもしれない)、着いたレストランでゆっくり食事。
まあ、一人旅(正確には一人と一匹旅かも、とかものはしかも君よりクレームあり)は、当然「話し相手がいない」わけで、味気ないのは食事の時間。仕方がないですけど黙々と食べることになります。
やっぱカンボジア料理を食いたいので、ガイドさんに「代表的なものを教えてくれ」と言ったら、出てきたのが
アモック・・・一人旅だと「あ、もっくもく」と黙って食べないといけないかも(笑)
しかし、ココナッツ味というのは料理的には(お菓子的にはアリ)、まあまあな味だけれど少し慣れない味かも。
悲しかったのは・・・魚の鱗が3枚入っていたことかも。
かものはしかも君も申していたように、ココナッツ味というのはわし的には正直微妙でして、ココナッツミルクで炊いたご飯というのをミャンマーで食べたときには、うーんと唸る(白米のほうが美味いんでないか?)というものでした。料理にココナッツミルクというのは東南アジアでは普通にアリでよく食べていると思う(カレーなんかもいれるし)んですが、美味しいのもあれば、微妙な味もありますが、美味しいのに当たっても「これこれこれ絶対これ」って感じではない。
微妙というのは不味いのではなくて、なにか「よそ行きの食べ物」=慣れてない味という点が先行し、美味いか不味いかはっきり判断しづらい=保留・・・というところなんですね。絶対駄目というのにはめったに出会いません。
しかし、ウロコ三枚は大減点。最初はプラスチックの破片かと思いました、、ちゃんとウロコ取れよな。
アモックの中身は魚以外にも選べたのですが、ガイドさんが、アモックは魚じゃなきゃーみたいな感じ(実際そうらしい)だったのでつい。
魚に関しては、日本海の漁村で育ったわし的に「これは」というのに海外ではなかなかあまりでくわしません。肉と違って魚は煮たり焼いたりすれば臭みが減って(肉は癖のある場合が魚より多い)肉より食べやすいことも多いですが。以前中東の港町で美味い魚に遭遇したのだけれど、味付けが「塩だけ」ってことがありました。醤油と大根おろしもってこいーと思わず心のなかで叫んだ。いや塩だけでも素材がいいと十分美味いんですけど、醤油と大根おろしがあれば・・・。
ということで、すっかりお腹も満足し、休んで体力も少し回復し、午後の観光に出かけます。
つづくかも。
かものはしかも君シリーズ、本日は休憩。
かものはしかも君シリーズにはタグ(旅行)がついていますので、かものはしかも君シリーズのみアクセスの方はカテゴリ「旅行」でみてみてください。旅行=以前のサンフランシスコと台湾も出てきます(かものはしかも君登場前の旅行記も少しあり)。
☆☆☆
寒いですね。
寒いのに、仕事で昨日今日とスクーターで40kmほど走りました。
もうスクーターが古いので、セルでエンジンもかからず(いやこれは一昨年くらいバッテリー交換で一回よくなったんだがなあ)キックで対応。しかも場所を間違えてうろうろしたり。冬に2輪なんて乗るもんじゃないんですが、行き先が1ヶ所ならともかくあちこち寄るには小回りのきくこれが一番便利なもんで寒さにめげずつい使っちゃいます。
夕方スーパーに買い物に行ったら、春の歌ばかりをBGMで流していましたが、その気持わかるなー。春は待ち遠しいですが、もう2ヶ月ばかり厳しい日が続きますね。とちおとめ(苺)安売りしてたけれど苺の旬はもう少し先ですよね。
郷里山陰はまたまた雪の様子。アメダス見たら積雪量が増えてました。お正月の雪が溶けないうちにまた降るってわしの子供の頃の記憶にもあまりない、ほんと大変ですね。大雪お見舞い申し上げます、お気をつけください。
☆☆☆
1月に入って忙しくてドタバタしてましたが、16日を過ぎたらすこし余裕ができます。
お金も、昨年8月にヒーヒーいって校正した原稿の分やっと校正料振込み。ほんと待ってたよー、入らなきゃ冬が越せないし(苦笑)。しっかし旅行って金がかかりますね。あとで精算してみたら思いの外出費がかさんでいて(大汗)。こんな家計で大丈夫かな。
アンコールワットめぐりの最後はその中心第三回廊へ。
でもここで残念なことが、「今日は、仏教イベントがあって第三回廊には登れません、昨日は登れたんですけれどねー、残念ですね」とガイドさん。
まあ、仕方がない。
こういうことは普通に起こるし。パリでルーブル美術館がストしたのに遭遇したことがあるし、自然を対象としたツアーたとえば「オーロラ見物」なんかはオーロラが見れないことも普通らしい。ちょっと前、日食フィーバーの時20万円かけて鹿児島の離島にいって雲が出てスカ食って帰ってきた人もいましたね。旅にはハプニングがつきもの。
運が悪いなら運が悪いであきらめなきゃいけない。もし熱狂的な遺跡マニアなら翌日に、翌日がダメなら翌々日に来るだろうし、それができないならまた同じ遺跡に旅行に行くはず。そこまでしないわしは遺跡好きだけれど、まあ好きかな 程度なんだろうなと思う。
朝食は、宿代込みなので食堂に行って麺を頼む。
話では、ここで麺を頼むとインスタント麺が出るという話だったけれど・・・、そうだった(笑)。朝食までカメラを持って行ってないので写真はありませんが。
日本だとインスタントラーメンは格下な扱いですが、韓国でも街中の安食堂で頼むとインスタント麺だし、東南アジアじゃ外食でも普通に出てくる。まあ、いくらインスタントでも中にネギを入れるとかもやしを入れるとかしろよ(朝食の麺は本当に何も入ってない)とは思うけれど。
朝8時過ぎ日本語ガイドさんが宿にピックアップにやってきて、遺跡巡りにいよいよ出発。
「今日はお客さん一人ですから」って、わしの貸し切りかい。いや実を言うとカバンの中に1匹いるんですが(笑)。日によって6,7人の時もあり案内する員数は随分と違うらしい。
ガイドさんいわく、「最近は日本人来なくなって、声の大きいトリオ(=中国人、韓国人、ベトナム人)が圧倒的に多いです」と。毎日ヒマなんで困っちゃうんですよ、なんていいながらもこの日の次の日も日本人ガイドしたらしいし(宿に来ていた)、そこそこやっぱ稼ぎがあるじゃん。
ただ一時期に比べてカンボジア(アンコールワット)に来る日本人は間違い無く減少しているらしい。
誰かが、海外行くより日本のほうが楽だからねー なんて言ってたけれど、たしかにカンボジアはインドや中東ほどじゃないけれどなかなか旅にはタフな国で「基本的にボル」「インフラがイマイチ」など日本に比して不自由なことはいっぱいあります。でもね、それが楽しいと思うんですけれどね。で、朝も感じたけれど、韓国人多すぎ。聞けばシェムリアップまで大韓航空だかアシアナだかのフライトがあるらしい。しかし、、、いくら世界的な観光地とはいえシェムリアップってたかだが人口が10万人位の町だし、カンボジア自体の経済規模が日本の鳥取県くらいらしいし諸般のことを考えると、黒字なんかね?、ひと通りカンボジア観光が興味ある人がいっちゃうと次はリピーター需要しかなくなるし、急に赤字になりそうだ。
朝遺跡に行った道をもう一度たどって、アンコールワットへ。朝も感じたけれど規模のでかさに圧倒される。アンコールワットはやっぱ第一級の世界遺産だな。わし的訪問したランクの間違いなくトップクラスの中に入る。
タージマハル、マチュピチュ、モヘンジョダロ、ペトラ、パルミラ、、わしが訪れた中でのSランクの遺跡は、最初にこう、どーんと自分に迫ってくる感じがする。それがアンコールワットにもあった。これから行く(行きたい)、ピラミッドもイースター島のモアイもそういう圧力があるんだろうか。
しかしいつものようにこういうS級の遺跡でも大抵は予備知識不足のため丁寧な説明が消化しきれず、ちと残念なことになる。今回もだけれど、本当は遺跡見学は十分な下見の勉強が必要なんですよね。
とはいえ、いい遺跡は予備知識なしでも十分に楽しめて感動ができるほどの壮大さがありますから、まだ行かれていない方はぜひ行かれてみてください。
西側よりアンコールワットへ。
早速ナーガ(蛇神、蛇の妖精)がお出迎え。
真ん中の穴は、、、、内戦時代の銃弾の痕だそうです(ガイドさん説明)
日本でも戦争で名城名古屋城が焼失したように、戦争があると本当に文化遺産がボロボロになるのですね。
レリーフの説明より、こちらのほうが記憶に残っていたりして(汗)
ボクもアンコールワットを背にして、ガイドさんと一緒に記念撮影かも。
撮影ポイントは朝日を見たところとほぼ同じ。
タイをはじめ東南アジアの国々でもつくづく感じたのですが、遺跡巡りには、
ヒンドゥー教の知識 および ラーマーヤナ & マハーバーラタ の知識があると全然理解度が違います。中世の西洋画を見るときキリスト教の知識があるとないのとではずいぶん違うのと同じ。
わしは、、、まあヒンドゥー教の神様の主なものを知っている程度で、ヴィシュヌ神の化身がブッダ(お釈迦様)とかいうことだったりで、日本人にも馴染みのある近い部分もあるので、しっかりともう少し掘り下げて見たい・・・と思うのはいつも旅に出た時だけで帰国するところりと忘れてしまう(笑)。
で、ガイドブックにはいろいろと説明がありガイドさんもいろいろと説明をしていただけるのですが、それを再現できるわけもなく、しばしスライドショーでどうぞ(笑)
ガイドさんがお手洗いの休憩の間に記念撮影かも。ちゃんとガイドさん手を洗ってきたのかな?ボク持たれるから不安かも(苦笑)。
12月29日
朝、5時前に起きて準備をしているとドアをノックされた。
うーん、正直言って眠いけれど今日から観光開始だからがんばらないと。
荷物を抱えて、ロビーに降りる。ロビーではすでにトゥクトゥクが待っていた。
ツアー参加者は3人、わしと、昨日のタクシーに乗っていたフィンランド人とカナダ人。
真っ暗な中を出発。で、トゥクトゥクのきちんとした座席にはわし以外の2人が乗りわしは反対向きの席に。こういう座席争いに気の弱い日本人(わし)は簡単に負けてしまうんだな(苦笑)。
アンコールワットまでの真っ暗の道。トゥクトゥクは吹きさらしなのでめっちゃ寒い。あとで気がついた。カバンの中に羽織る物持ってきていたんだ(超汗)。きつい日程で旅していると体力が落ちて風邪を引きやすくなるから気を付けないとね。
途中で、チケットを買い(写真まで撮られるんだな、写真入りのチケットになる)、いよいよ恋焦がれたアンコールワットとご対面、、、ではなくて真っ暗で何も見えない、懐中電灯役立ちまくり。
到着直後。デジカメは明るさの補正が入っているので薄明かりみたいだけれど、この時間もっと暗かった。
それにしても、寒い。でもって朝から物売りの営業がすごい。これだけ寒ければインスタントだろうとコーヒーとかお茶が売れるだろうなあ。ってお前が何も羽織ってないからだろ(苦笑)。
スイス人がガイドブックを買ったが、宿に帰るためトゥクトゥクに乗るときに近寄った売り子は、半値近い値段だったのであっさりぼられていることが判明、3人で苦笑、、、まあ世界的観光地は欧米や日本みたいなFIXプライスが当たり前の所を除いてこんなもんです。
日の出直前。
アンコールワットにかかる怪しい陰、、、これは一体誰なんだ、、かも。
で、正解は、
ボクだったかも。
やっぱ日の出と日の入りはいいですねー、カメラがイマイチの性能(普通の小さいデジカメ)なのでいい写真は撮れませんが。かものはしかも君も感動している様子。
12月28日
結局バーのどんちゃん騒ぎは3時過ぎまで続き、わしは6時起床だったけどあまり眠れず。まあ、あまり寝られなかったのは朝寝坊するとしゃれにならんと思って緊張したせいもあるけれど。
寝坊しても大丈夫なように、荷物を完全にまとめて目が覚めたらすぐにリュックを背負って5秒で部屋を出られるようにしていたが、そんな用心というか準備の良さは普段のわしには絶対ないこと、明らかに旅に出ると性格が変わっとる(笑)。
てことで、着替える必要もなくそのまま6時15分に宿を出る。宿にはカギがかかっていて、申し訳ないけれど寝ているスタッフを起こして外に出してもらった。
カオサンの夜は長く朝も早い、宿をチェックアウトしてタイの地方都市へ移動するのかあるいは空港で他の国に行こうとしているのかでかいリュックをもった外人さんがあちこちで動いているし、ゴミ収集車も来てるし、けだるい雰囲気だけれどかなりの動きがある。12月なので朝はちょうどいい気温、いや涼しいくらいだ。目の前を猫サイズのねずみが通り抜けていく。ここには餌はたくさんあるもんなあ。
しかしカオサン、久しぶりに泊まってみて、白人さんが遅くまで大騒ぎしてうるさいし、おカマさん(どうみても人工乳房としか見えない)の数も前に比べて増えたみたいだった(昨晩の感想)。なんだかカオスな雰囲気が以前に比して増幅しているような。今回は待ち合わせポイントがカオサンだったので仕方がないけれどそうでなければチケットを買いに来たり(旅行代理店の数多数)、時間あわせに遊びに来てもここには泊まらないと思うなあ。
朝のカオサン。
夜の喧騒が嘘のように静かになってるが動きはある。
さて問題の旅行代理店(12月27日ブログ参照)に頼んだツアー、不安だらけで待ち合わせポイントに行く。
指定時間に10分ほど遅れて、若いお姉さんがやってきてわしに「カンボジア?」と聞く、、、よかったーーーーー☆。経営者が変わっても予約はうまくつながっていたらしい。ちょー長いため息をついてすこし肩から力が抜ける。
でもお姉さんから車+カンボジアのホテルのバウチャーを受け取ってみたら、、、、あれ1泊だけかい?、、だめじゃん(汗)。わしは3泊4日のツアー申し込んでいるんだから、、、って予約確認書を見せると、あ、ツアーねってその場でさっさとバウチャーを書きなおしれくれた。こんな簡単でいいのか、向こうの宿にちゃんと連絡がいっているのかわしのこと。ちと不安だ。
ワゴン車に案内されて、車内で15分ほど待ち、それから違うワゴン車に移れといわれたので、そちらに移動、車はその後出発したけれどしばらくは市中引き回しの刑(笑)、要するにあちこちのホテルをグルグル回って乗客を拾い上げていくのですな。わしは一番最初に乗った乗客だったみたい(苦笑)。
わしの乗ったトヨタのワゴンが結局カオサンエリアを抜け国境に向けて出発したのが7時30分、、わしの待ち合わせ時間が6時半だったから、、、うーん、まあそんなもんだろかね。出発したらぶっ飛ばすからはやいんだけどねえ、と思ったら、時間が時間(朝のラッシュ)なのでバンコク市内は渋滞しまくりだった。
途中120kmくらいで(手元のスピードメーターによる)でかっ飛ばし3時間ちょっとで国境ちょっと前のエリアへつく。レストランで昼飯(カオパット=やきめし)、あとはカンボジアに入ってからの説明等いろいろあり。
国境近くのレストランについたかも。
頼んだのはカオパット(焼き飯)かも。
焼き飯はアジアではどこで食べても当たり外れがないかも。
飯が終わってみんな一息ついた後、またワゴン車に乗りこみ、いよいよ国境を目指す。
国境前でワゴンを降りバンコクからの送迎は終了、歩いて通境(カンボジア人とタイ人は優先的に処理され早いのに、その他外人は暑い中でしばし順番を待たされる。いやー直射日光きつくて屋外で待つのはつらいよ、責めて木陰に入りたい。そんでもって、さっきからなんだか生魚が腐ったようなにおいがずっとしてるんですが、初カンボジア印象よくねー。
陸路で歩いて国境を渡るというのも久しぶりだなあ。10年前のパラグアイ国境からアルゼンチン国境に抜けた時いらいだ。陸路の国境越えって何かこう飛行機で降り立つのとは違う気がする。
イミグレーションを抜けたあと、カンボジア側からタイ側を望む。
国境は治安上の問題から、不用意に写真を撮ると、警察官に「ごるぁ!」されたりするんであまり撮らないんだけれど、ここはネットみてたらかなり写真がUPされてたし、周囲の雰囲気から大丈夫かと思って写した。
カンボジア国境の町はポイペトというのですが、いきなり乞食の幼児がいたり、国境のカジノホテルに勤めるケバイ化粧の若いお姉さん(風俗ではなく普通の従業員と思われる)が目の前を通り過ぎたり、すごい混沌とした町の雰囲気。聞けばカジノ目当てのタイ人も多いらしい。
ジュースを1本買うと、お店の人に「20バーツ」と言われる。
おいおい、カンボジアリエルでも米ドルでもなくタイバーツかよ。
通境のとき一緒だった一人歩きの中国人の若い女性が「ここらへんのお寺で有名なのがあるから」ってそそくさとどこかに出かけて行った。うーん、ガイドブックには「ポイペトはかなりヤバイ」って案内しか乗ってないが、ほんとに大丈夫なのかね。語学もそんなに出来る感じじゃなかったし。
基本的に自己主張が強い中国人はそういう混沌とした旅でも全然めげないんですかね。そういえばこの女性じゃないけれど、コロコロキャスターもった中国人も多すぎ。舗装してない道がいっぱいある国にコロコロキャスター持ってきてどうすんだろ。中国人の数は多いもののいまいち旅がこなれていないような気がする。
そういえば同じワゴンに韓国人の2人組も、外人さんが「ボーダーでVISAとるのか?」って聞いてたのに、「ボーダー ???? 」って悩んでた。わしは韓国語わからんし英語もイマイチなので傍観するだけだったけれど、ツアーではなく自力で歩いているのだから、その程度の英語わからないと旅はきついと思うぞ。わしが心配してもしょうがないが。
ガイドブックによると、ここからシェムリアップまでのバスやタクシーにちゃんと乗るのが大変(ぼったくったりミスリードをするよからぬ客引きが山のようにいるらしい)で、いろいろとトラブルもあるらしいですが、わしはツアーなのでそういのとは全く無縁、正直とても楽だ。金を出して楽を買うのも良し、金をけちって途方にくれるも良し、旅のスタイルはいろいろですが、金を少々払っても利便性を選択する傾向にあるのは加齢によるものなんだろうな。
国境から案内してもらったスタッフの誘導で無事タクシーに乗る。タクシー(といっても普通の車)はわしとフィンランド人とスウェーデン人カップルとわしの4人。どうも泊まるホテルとかその他の理由でいったんタイからのワゴン車に乗ったツーリストを仕分けしてタクシーに小分けで乗せるらしい。
カンボジアは道路がひどいと聞いていましたが、信じられないくらいいい道路(現地基準)を一気に宿まで突っ走る。4時間かからないほどでシェムリアップに到着。お疲れ様でした。
この辺一体は見渡すかぎり平たい大地。でも赤土が目立つから農業にはあまり良い土壌じゃないんだろうなあ。
実はネットでいろいろと調べてみると、道のひどさ、でこぼこさが強調されておりました(これなんかほんの2年前のブログなのですが・・・)未舗装の赤土の道路は全く姿を消しておりました。
とにかく、ネット検索した数年前の情報が古すぎて全く役に立たないというのが今のカンボジア。あまりにも変わりすぎて事前準備をきっちりしていると逆に頭が混乱してしまいます。
途中笑ったのは、パトカーがやってきて、我々のタクシーの前で止まれ止まれをやったこと。
その止まれ止まれが、サイレンを鳴らすのではなくて、道路工事の警備員のおじさんが交通整理の時持ってる棒(先端が赤い)のようなものを助手席からだして振り回して合図してた。「えー、カンボジアのパトカーはサイレンなしかいっ」ってタクシー内の4人の外人(わしを含む)に大ウケ。しかし、緊急走行のときどうするんだろう。クラクションならしまくりなんだろうか。
タクシーの運転手サンは、不幸にもトランク開けさせられたり窓ガラスに貼った車検証なのか営業許可証なのか解らないけれどシールを確認されたりて大変そう。無事開放されましたが。
つうことで車は快適な道路をバシバシ100kmを超えるスピード(手前の携帯アプリ計測)で飛ばしまくって、無事アンコールワット観光の基地、シェムリアップに到着。お疲れさまでした。
タクシーの後部座席から撮った日没
宿についたらチェックインをするまもなく、「明日朝日観にいきませんか?5ドル」の営業開始。うーん、みな商売っ気満々だなあ(苦笑)、東南アジアっぽい。5ドルならいいかってことでお願いをして、明日5時起きが決定。起きれるかなあ。まあ起きれなくても5ドルならいいか。
ボクも箱の中に入っての長旅で疲れたかも。
ホテルで一息ついてるかも。エアコンなし部屋だけれど冬なのでファンを回してちょうどいいくらいかも。
宿ですこしくつろいでから、お腹がすいていたのでさっそくに見物を兼ね晩飯を食べに出かける。
ナイトマーケットのお店を冷やかした後(物価安いなー)適当にインド料理のお店へ。へぇ、マサラドーサってカンボジアでも食べられるんだとちと感激、マサラドーサはインドでも南インドの料理ですからね。意外とインド料理は東南アジアではポピュラーなんですかね。肝心のマサラドーサの味は本場というかご当地南インドで食べたやつのほうが美味かった(ちょっと食べたのは遠い記憶だけれどもうすこし軽くてカリッとサクッとしていたような)。
夕食は、
マサラドーサ
オムレツ
マンゴーラッシー かも。
南インド料理をカンボジアで食べるとは思わなかったかも。
帰りがけに、マッサージ屋の勧誘を受け、聞けば1時間3ドルぽっきり、、ぎょぎょぎょ(さかなくん風)、早速お願い。もしかしたら「タイより安い=世界でもトップクラスの安さ」かもしれない。しかし、受けたマッサージはボディマッサージとしか説明を受けず、クメール風なのかタイ風なのか判断がつかなかった。タイ式とは微妙に違うんだよなあ。腕はまあまあで疲れが少し吹き飛んだ。
治安上余り夜遅くならないほうがいいと言われていたので、夜更かしをせず宿に帰ったのが10時前、パソコンを持って食堂でメールチェック等、その後自室に戻るも昨日から今日までの寝不足と移動の疲れでそのまま瞬時にダウン。いやマジで、うつ伏せでベッドの上に暫く転がっていましたから(苦笑)。
つづくかも。
暮も押し詰まった12月27日、仕事は世間様より1日半ほど早く午後1時で終了。
前日までにきちんと揃えておいた荷物をそそくさと抱え、いよいよお出かけです。かものはしかもBOXもきちんとリュックに入れました。
今回の旅は、初めてのカンボジア、行き帰りの玄関がタイ(バンコク)になりますので、タイもちょっとかすって通ったという感じでしょうか。バンコクはかなりの回数行っております(今回のようにゲート都市になるので)、2年前にもスコータイ遺跡を訪問しています。
ということで始まります。
12時58分亀戸発のJRで船橋へ、船橋13時18分の京成シティライナーで成田空港へ、14時05分成田空港着。船橋での乗り換えが3分しかなくダッシュして息も絶え絶え。時間に余裕があって次の特急(特別料金いらない)でも全然問題ないんですがつい乗れるとわかると走っちゃうんだな、これ(笑)。
早速カウンターでチェックイン。こんな混雑する時期に海外に出なかったので勝手がわからなかったのですが、出発の2時間半前=にカウンターに行ったけれど、真ん中の席がポツポツとしか残ってなかった。カウンターのお姉さん(多分ANAの子会社の人?)いわく、電話で座席のリクエスト入れていただければ・・・だそうだたけれど、予約がスカイゲートって旅行代理店経由だったので、そんなことできるなんて思いもしなかった。チケットも格安だと座席リクエストが出来るのと出来ないのとがあるし。
ましかし、いい勉強になった。タイ航空は格安でも座席指定できるんだな。盆暮れは事前に座席の予約を入れておかないとその日早く空港に行ってもいい席が取れない。
その後ラーメンを食べ、カードラウンジでネットで1時間ほど仕事。仕事たまってるのに海外なんて行って大丈夫かなあなんて思うけれど、日本国内、帰省で田舎に帰ったって仕事しやしないんだから同じか(苦笑)。
16時20分頃にイミグレを抜け、第一ターミナルゲート42から出発。・・・の予定が飛行機は機材の関係で30分遅れ、すんませんすんませんを英語と日本語とタイ語(これはたぶん想像)で繰り返し案内している。30分くらいは遅れのうちに入らないっしょ、だからそんなに何回も言わなくていい。しかし夜遅いから到着が遅いのはつらいな、新しくできたバンコクの空港連絡鉄道が24時までってネットを見ると書いてあって、それには乗りたいけど間に合うかな。
こんにちは。ぼくが「かものはしかも」かも。
買い主のOKEさんと一緒にカンボジアに行ってくるかも。
楽しみかも。
成田空港の出発ゲート前にいるんだけれど、飛行機が遅れてずっと搭乗を待っているかも。
飛行機はジャスト30分遅れで、やっとのこと出発。
あとは機内食食って映画を2本みて、少しだけ原稿を書いて(映画は1本だけの予定だったんだけれどなあ、つい・苦笑)、機内食の味も悪くなく(機内食(とくにエコノミー)の食事についてはいろいろと言われるけれどタイカレー不味くなかった)、タイ航空を使うのは、シンガポールージャカルタ(往復・・ずいぶん前)、バンコクークアラルンプール(片道)、以来3回目です。ただ前の2回は短距離だったからちょっと雰囲気は違うかもですね。さすがに12月27日だから機内に空席は全くない。オーバーブッキングとかしなかったんだろうか(あ、これについてはシェムリアップで一緒だった佐藤兄妹がラッキーにもビジネスクラスになったということでやっぱりこの時期ある様子)。
機内食 タイカレーかも。味は悪くなかったかも。
到着前にサンドイッチが出たかも。
22時15分到着のところ、出発の遅れ分そのまま、おおよそ30分ほど遅れて、22時47分にバンコクスワンナブーム空港に到着。
座席はなるべく早く街に出たいから、出やすいように前のほうとお願いして実際に座っていて、飛行機を降りたらダッシュで行動するつもりが、降りてみたら、あらあらのタラップ+バス移動、、げっ、座席を前にしてもらった意味があまりないじゃんかよ(汗)、皆と一緒にバスで空港ターミナルまで。
手荷物だけの旅で預ける荷物のない人なので、さっさとイミグレを抜けて税関を抜けて外に出る。両替所で5000円だけバーツに両替した後すぐに空港の地下にあるできたばかりの空港連絡駅から連絡鉄道に乗る。市内まで15B(バーツ)
しかーし、、、チケットの自販機に100B紙幣を入れたら、おつりがじゃらじゃら(大汗)、止まんねー
100-15、でお釣りは85Bだけれど、そのお釣りの中に10B硬貨が1枚だけあったので、結局75枚硬貨がおつりで出てきた計算だな(いちいち確認なんかしてないけど)。
後ろの白人さんが、「おお、おめえジャックポットやんか(スロットで金がじゃらじゃら出るヤツ)、はっはっ」と大笑い。駅員のお姉さんも笑ってる。
いやそんなところで笑い取る必要全くないですから。
終点(パヤタイ)まで乗りそこからタクシーでカオサン(バンコク一有名な安宿街)へ。もう時計は12時回ってる。
さてさてカオサン、どこに泊まろうか。むかしなつかしフレンドゲストハウスあるあたりの路地にとりあえず行ってみると、MAMASゲストハウス前で日本人の人が、空いてますよ、ボクも泊まってます。ということなので、泊まることに。1泊だけだし明日早いから寝られればいいか。料金は250B(=700円)ほど。
宿についてほっと一息かも。しかし相変わらず汚い部屋かも。
あ、左上の壁についているのはシミであってゴキブリではないかも。なんかシミの格好がとっても似ているかも。
駅の自販機でお釣りにでてきたコインの入った財布をひっくり返してみる。
しかしこれ、、、重い。
一息ついて、懐かしいカオサンの街に出てみる。ほんと眠らない街なので夜の12時、1時ではまだまだ宵の口で全然OKなところ。フットマッサージ30分(100B)をしてもらい、水と果物を買ってから、1時過ぎに宿へ。
さて寝ようとすると、、「ううううう、うるせー」、向かいが場末のバーなんですよねー、白人の兄ちゃんやおっちゃんががビール片手にタイ人のお姉ちゃんとどんちゃん騒ぎ。でもって、わしが泊まっているのは窓からバーが見える一番うるさい部屋。とほほ・・・
カオサンは人により評価が分かれるところ。本当に便利だし(お店、食堂、旅行代理店いろいろ)マッサージ屋もぼらないし(2時間のマッサージを2時間やるのはバンコクでここくらいかもしれない・・・金にケチなイスラエル人がきちんと仕込んだ(時間内に終わったらびた一文払わないというような姿勢なので、、彼らは))と言われているけれど真偽の程は定かじゃない。
酒飲んで騒ぐのが別に好きではないわしは、年齢相応にやっぱ静かな宿がいいな。そういう意味ではカオサンはうるさい宿が多くあまり泊まりたくないところ。タイ人のお姉ちゃんのケツをおっかけてる刺青の入ったのんだくれの白人さんとか見ているだけで辛い。
しかしこの状況で明日6時に起きれるだろうか。シャワーを浴びるのも面倒でついつい横になっていろいろなことを考えいたらすこしだけまどろめた。
※泊まったMaMaSゲストハウスとフレンドゲストハウスのこと
この路地辺りは初めてタイに行ったとき泊まったエリアなんです。一番最初はもっと先のグリーンゲストハウスだった。確か身分証見書(学生証)の偽造をそこでしていた(笑)。
MaMaSもフレンドもよくこの前を通った。部屋を見せてもらったことはあったけど泊まらなかった。けど、マッサージではお世話になりました。あと日本人の若者がいっぱいいたので、ついつい話し込むこともあった。マッサージ屋を探すのが面倒なときはこのへんにくればマッサージってほっといても声掛けてくれたし、夜行でバンコクに着いて朝8時頃にやってもらってたことがあったなあ。
そんな、フレンドゲストハウスもなくなったそうで。バンコクで沈没して長々と居たわけじゃないけれどちと寂しいものがあります。すべてのものに変化、すべてのものに終わりがあるんですね。
もうオヤヂ年代の人間が泊まるにはきついところではあるんですが、思い出のある懐かしい路地です。
つづくかも
今日は初めてのお客さんのところ。
千葉県鎌ケ谷市◯◯ってところに行くので、東武野田線の馬込沢駅で降りてテクテクと1.3km歩く。夏なら辛いが冬ならまあまあ良い距離で運動にもなる。
10時にアポだったので、十分余裕を持っていったつもり、実際に10分近く早く9時50分過ぎについた。
ところが現地に着いて、目的のおうちを探すも、、、、ない。あれーっ。 おかしいなと思って、手元の資料をもう一度見てみると、、
「がーん」
住所が鎌ケ谷市◯◯じゃなくて、鎌ケ谷市東◯◯ となっってる。 住所に「東」がついてんだ(超汗)。
あわてて携帯のナビに正しい住所を入力してみると、あーらららら何とここから1.8km先、やばーーーっ、車じゃなきゃ100%間に合わない。
鎌ヶ谷なんて初めてだし、携帯の経路検索にしたがって歩くのが最も無難なのでそれにしたがって歩くが小さな丘のようなところを登って下るようなルートでかなりキツイ。ナビは高低差までは表示せんもんなあ。途中でお客さんのところにお詫びの電話を入れるも、ずっと話し中、何回かけてなんとかつながった。電話をかけている間もずっと早歩きしているので、汗が吹き出す。コート着ているし、コートどころかスーツも邪魔。
遅れること20分、、、やっとお客さんのところについた。のっけから平謝り。
でも遅れたことに対しては何も言われず、かえって遠方にわざわざってことで労われた。いやいいお客さんでよかった。
2011年、仕事での初対面の人との仕事でわしがチョンボをしたことをマイナスと見るか、いい人に出会えたのをプラスと見るか、プラマイゼロかな。今年もたくさんヘマをして今年もたくさんの人に救われるんだろうと思う。
しかし、ほんとわしのバカさ加減にはわれながら凹みました。1.3(間違えた場所まで)+1.8(間違えた場所から正しい場所まで)+1(正しい場所から駅まで) = 4.1km 午前中に歩いた距離です。革靴で4kmは正直辛い。しかも早足で。
☆☆☆
姉が餅を送ってきてくれたので、しばらくは主食が餅になりそうです。
夜はヨガへ行って午後8時50分に帰宅なので、、大きめの味噌汁カップを買ってきて、そのなかに餅を2個入れて簡単に夕食。
餅はレンジでチンすると、お皿にこびりついて皿洗いが大変なんですよねー。あ、ラップしてチンすればいいのか。
餅入り味噌汁を飲みながら、「ほんと親父は餅が好きだったなあー」としんみり昔を振り返ってました。姉が餅を送ってくれなきゃ多分お正月に餅なんて食わないし、と、ありがたくちょっぴりだけ正月気分を味わいました。
やっと旅の写真もデジカメからパソコンに移し、かものはしかも君の旅行記も編集はじめました。来週から週2回ペースでUPできたらと思います。
まだ体が本調子ではないです。旅の疲れが少し残っている感じです。やっぱ若い時みたいに旅から帰ってきて1日がーっと寝たらすっきり100%回復ってわけにはいかないんですね(涙)。
☆☆☆
故郷山陰は今年は大変な大雪でした。海外にいてもネットで郷里の新聞のウェブ版(山陰中央新報)を見て心配していたのですが、ほんと今年帰っていたら大変なことになっていました。
全く外に出られない上に東京にもどる飛行機ももどうだったか? ですね。お正月は全く外に出られずテレビばかりでカップ麺のような保存食を食っていたことでしょう。
子供のころ、島根半島の先端で暮らしていたわしは、ある年の冬大雪でやはり停電になり、母親とろうそくの灯りの中でずっと電気が回復するのを待っていたという記憶があります。町と違って地方のさらに田舎はどうしてもインフラが末端なので弱いのです。確か中国電力の車もやってきていました。今回は比較にならないほどにひどかったようですが、子供の頃は停電もろうそくの灯りも普段とは違う楽しい記憶だったことを考えると今回も子供は子供で大雪を楽しんでいたのかもしれませんね。でも、その当時も今も大人は大変だ。
今日お昼に姉から電話があり、やっと父母に挨拶(墓参のこと)をしたということ、墓も雪の中に埋れていたのですね。さすがに雪の中墓参に行くのは大変ですから。
今年から原則(同窓会のようなイベントでもない限り)お正月は帰省しませんので、山陰の雪を当分見ることはないかもしれませんが、わしの心の中には郷里の真っ白な雪景色がずっと鮮やかに残っています。ただやはり程度問題で、今年はちょっと限度を超えてしまったということでしょうか。
アンコールワットで、かものはしかも君をセッティングしているガイドさん。
こんなみなさんの協力もあっていい旅ができたのですね。
親には大変申し訳ないですが、これだけ長い(といっても8日間ですが)間旅に出られたのは、親の心配がなくなったからであることは間違いがありません。
旅に出られるのは羨ましいと言われても、親があと5年でも10年でも生きていてそれが気になって、年一回海外は3泊4日の台湾ぐらいが関の山で遠くに行きたいなと思っても叶わない。そのほうがわしは絶対いいです。
お正月に欝になる人がいるそうです。独り身だったりして普段は仕事やプライベートで周囲に人がいる。けれどお正月はみな田舎に帰ったり家族と過ごしたりで、ポツンと一人残ってしまう。話し相手も何も無い。それに参って精神的にやばくなる。関係ない人がみたら関係ないことですがわしは身に染みました。ポツンと一人家にいて年を越す、それが辛いので旅に出たくなったのかもしれません。
皆様改めまして新年明けましておめでとうございます。
旧年中はいろいろとお世話になりました。
改めて今年の目標を
1 仕事をする。
とにかく残された人生時間がありません。年中無休とは言いませんが、「休日は不定期、疲れたときや用事があるときがが休むとき」 の生活で頑張っていこうと思います。やり残したこと多数。特に介護(遠隔地介護)等、老後の生活設計に関してはいろいろと思うことがたくさんあります。
2 旅に出る。
7月末の台湾は、マイレージの特典予約(タダの「航空券、いやサーチャージがあったので8900円払ってる)の関係(平会員の場合半年前以上でないと予約が入らない)で予約を入れておりますが、GWにも近々予約を入れて、今後当分の間は「体の続く限り年3回の海外」を考えております。基本的に稼ぎが悪く貧乏故、エンゲル係数ならぬ、トラゲル係数(全出費にかかる旅行費用出費比率)がとてつもなく高く日々の生活はそれなりに圧迫されて大変なのですが、人間何が起こるか解らず、来年からずっといけなくなる可能性だってあるわけです。日常生活費用を切り詰めてでも行く価値があるのが旅かなと思います。ほんと今回(お正月)の旅で現地で若い人と話をしてて、急いで旅にでないかんなーと強く思いましたゆえ。自炊を増やす、宴会参加回数を減らす、その他生活の切り詰め方はいろいろとあろうかと思いますが。
3 勉強をする。
仕事上の知識の勉強はもちろんすべきですが、それ以外にもタイ語、マレー語、アラビア語あたりは、「日常旅で使える最低限の言葉」を少し習得したいです。英語は苦手なんですが、たまには耳を慣らさないとねえ、10年前に比べてもともと低い能力がさらに低くなって中学レベルの基本的な会話にも難渋しております。
仕事関連で言えば9月の消費生活相談員の試験、受けたいですね。忙しいとついつい知識のインプットがおろそかになりますが、それじゃまずいです。
つうことで、喪中に付き、年賀はがきはお送りしておりませんが、皆様今年もよろしくお願い申し上げます。
11時半頃無事帰国しました。
帰りの飛行機は、時刻表によるとエアバスA340なのでまた映画を見ると、そっちに注意がいって何もできんなーなんて思ってたのに、なななんと昔懐かしいジャンボ(B747-400)に機材変更されてました。てことで映画もパーソナルのオンデマンドじゃなくて、みんなが同じ映画を観る昔風。映画見ててもしょうがないので手持ちのPCでバンコクから羽田までずっと今回の旅のブログアップ用の日記を書いておりました。写真整理等暫く時間がかかるかもしれませんが、できるだけ早くUPしたく思っております(といいつつ時間がかかるかもしれない)。
しかしタイ航空、正月3日の繁忙期をジャンボを使って稼いどるなー。747はイイ飛行機だけれど、機内設備等がもうちょっと古すぎてって感じですかね。
かものはしかも君も無事に旅を終えました。
もうすぐ羽田に向けて出発かも。保護色なのでボクのことがわかりにくいかも。
あー、眠いけど明日から仕事だ。
今、プノンペン国際空港でバンコク行きの飛行機待ちです。
無線LANがつながってイイ感じ。早く成田もなれよー。
ということで、今日はシアヌークビルからバスでプノンペンへ、プノンペンで博物館を2つはしごするという超忙しで先ほどへろへろで空港到着、。出国税25ドル払えとかいわれて、、、呆然。かものはしかも君は今日は忙しさゆえずっとリュックの中で出番なしでした。
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
ホテルの電波状態 最悪です。明日は、シアヌークビルからプノンペンに戻り、プノンペンから飛行機でバンコクに戻ります。
と、ここまで書いてUPして、「はっ、ひょっとして」とホテルのロビーへいってロビーのソファーでネットをするとなんとか切れずにつながりました(喜)。部屋のネットよりだいぶ良い。
これからは安宿でもネット環境をきちんと作らないと絶対に繁盛しませんよね。目の前でロシア人が1時間ほど自前のノートPCでスカイプで延々と話をして帰ってゆきました。
元旦は何もしないで1日海を見ていようと思っていたので、ほぼそのとおりの1日でした。マッサージには行きましたが。
ということで、かものはしかも君、、、日焼けするかもの写真です。 一部の方には大雪お見舞いで送信してます。
気温は30度、日差しは強いかも
休みもあと2日ですねえ。また普段の日々が戻ってくるのはもうすぐか(汗)。
